介護は育児とは違います。育児は子どもの成長というポジティブなゴールがありますが、介護の最後は死です。元気だった親が月日を重ねて衰えていく姿を見ることは、子どもとしてつらいものです。それゆえに介護の実態に蓋をして、表立って口に出したくない心理が働くことも介護の情報不足に拍車をかけてしまいます。
親子の「愛」が介護問題をややこしくする
実は介護で一番厄介とも言うべき存在が「愛」です。親に介護が必要になった時、親を大切に思う気持ちから「介護のすべてをやってあげたい」と思う善人ほど、悲惨な介護に突入してしまいます。
介護離職をしてしまうと、その後、再就職まで要する月日は平均で1年以上です。運よく新たな仕事を得られても、収入は男性で4割減、女性で5割減というデータもあります(『仕事と介護の両立に関する実態把握のための調査研究』三菱UFJリサーチ&コンサルティング 2013年3月)。
また、介護目的で親と同居すると「介護離婚」のリスクも高まります。理由は以下のようなものです。
① お互い気遣いしギスギスする
② 食事、睡眠等、生活のリズムが親と合わず、イライラや喧嘩が増える
③ 家事等の生活援助系の介護サービスが受けられない
④ 特別養護老人ホームへの入所の優先順位が下げられる
⑤ 住み慣れない環境で親の心身の状態の悪化が加速する
実際、私も介護に関わった経験があります。私の父方の祖父が70代後半の時に肺炎で倒れ、小学5年から、祖父が亡くなる中学2年まで自宅介護を続けていました。食事や排せつも一人ではできず、肺炎で話すこともできない祖父の姿を他人に見せるのは「家の恥」と祖母と父は言い、自宅の隅の日が当たらない部屋に祖父を寝かせ、身の回りの面倒は、パートを辞めた母がつきっきりで3年以上みていました。
私と妹は母の介護のお手伝いをしましたが、父は昔の人なので母がすべて介護するのは当然と考えて、自ら手を動かすことはしませんでした。祖母は、祖父と同じ年だったこともあり、衰えていく祖父を見ても「私が大丈夫なんだから、あなたもしっかりしなさい!」と言いたかったのかも知れませんが、怒鳴り声とともにピシッ、ピシッと祖父を叩き続ける音が、隣の私と妹の子ども部屋に鳴り響いていたことを今でも覚えています。
「どうしたの?」と祖父母の部屋のふすまを開けると「何でもない。聞き間違いだ」と追い出され、5分くらいするとまたピシッ、ピシッと再開。痰(たん)が絡みすぎて呼吸もできない状態になり、「入院させて」とお願いしても、「大丈夫だ」と全然祖父を入院させず、入院した時は既に手遅れでした。
母は数年間に及んだ介護を一手に引き受け、愚痴も文句も言わなかったことがかえって恐怖でした。