こうしたトンネルの建設事情を踏まえた上で、改めて横川側のトンネルを眺めてみる。私たちが先ほど出てきたトンネルの右側にあるのが、もともとの旧線の本線トンネルで、当時そのままの煉瓦で作られていることがわかる。横川からの旧線跡は「アプトの道」という一般の人が歩ける遊歩道として整備され、現在熊ノ平まで来られるようになっている。その右側が下り押し下げ線のトンネル。線路が水平になるよう、本線より高い位置にあることがわかる。

横川側の右端2つのトンネル。左が旧線本線(現在はアプトの道)で、右側が下り押し下げ線(行き止まり)。新線開通によりどちらも使われなくなった

 7つのトンネルは、列車運行のいろいろな制約がある中で、なるべく工事を効率的に行おうと、明治時代から昭和時代の人々が苦闘した歴史を物語るものだったのだ。

アプトの道で実感する職人と技師の意地

 今回の廃線ウォークでは通らなかったが、旧線跡を利用したアプトの道(横川駅から熊ノ平まで)がどんなものかを簡単に紹介しておこう。

※駅や線路の位置関係は前編の図で確認できます。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57913?page=2

 横川駅から熊ノ平の間には3つの橋と10のトンネルがあり、線路はないものの明治時代の趣を色濃く残す鉄道遺構群に触れられる趣深い遊歩道だ。

 中でも最も有名なのは、碓氷第三橋梁の「めがね橋」だ。埼玉県の深谷市や川口市から運ばれた煉瓦は200万個以上で、長さ91m、高さ31mという国内最大の煉瓦造アーチ橋だ。1891年(明治24年)に着工し、旧線開通に間に合うよう1年8か月という短期間で作り上げられたというから驚く。

めがね橋からは階段で国道18号(旧道)に降りられる(34番カーブあたり)。旧線と国道18号は近い場所を並走していることがわかる

 私たちが歩いている新線下り線とアプトの道となっている旧線で、最も違うと感じる点はトンネルの壁材だろう。補修箇所を除けば、旧線のトンネルは外も内部も煉瓦で作られている。苔むした年代物の煉瓦はレトロな照明の中で渋いオーラを放っている(立ち入り禁止の新線と違い、アプトの道のトンネルは日中照明が灯っている)。

めがね橋の先の6号トンネル。古いながらも、堅牢に作られたものであることを感じる
6号トンネル入り口近くの煉瓦は、目地を盛り上げるという凝った作り。派遣されたイギリス人技師の力作とのこと

 めがね橋から5本のトンネルを抜ければ、熊ノ平に到着してアプトの道は終点だ。熊ノ平から軽井沢までは、新線下り線と一部重なっていたりトンネルが塞がっていたりするため、遊歩道として整備する予定はないとのことだ。