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(文:首藤 淳哉)

「180人のユダヤ人を虐殺したのは、私の大伯母だったのだろうか…」そんな帯の文句に惹かれて本書を手に取った。

 1945年3月24日の晩、オーストリア国境近くの村レヒニッツにあるバッチャーニ家の居城で、ナチとその軍属のためのパーティーが開かれていた。月が明るい晩だった。この時、駅には200人近いユダヤ人たちが立たされていた。彼らは対赤軍用の防護壁を築くためにハンガリーから連れてこられた強制労働者たちだった。

 夜9時半、彼らはトラックに乗せられどこかへ運ばれた後、4人の突撃隊(SA)に引き渡された。SAはユダヤ人たちにショベルを渡すと、L字型の穴を掘るよう命じた。疲れ切ったユダヤ人たちが固い土を掘っている時、城の電話が鳴った。電話を受けた親衛隊上級曹長のフランツ・ポデツィンは「いまいましいブタどもめ」と吐き捨てると、部下にパーティーの参加者を連れてくるように命じた。そしてこう告げたのだ。「駅から来たユダヤ人たちが発疹チフスにかかっていて、奴らを撃たねばならん」。

 ライフルと弾薬がパーティー客に手渡され、彼らは現場へ向かった。ユダヤ人たちは裸でL字型の穴の前に跪かされていた。酒の入ったポデツィンらは次々に引き金を引き、穴の底にユダヤ人たちが折り重なって行った。その後、客たちはパーティー会場に戻り、朝までダンスに興じたという。

 戦後、大量殺人および非人道的行為などの罪で7人が起訴されたが、重要な証人が何者かに暗殺されるなどして裁判は早々に行き詰まってしまった。ポデツィンら主犯格2名はその間に逃走し、スイスから南米に亡命した。またその後何年にもわたり殺害現場を特定するための調査が行われたが、180名の遺骨は今日に至るまで発見されていない。

 これがレヒニッツのユダヤ人虐殺事件の概要である。

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 チューリヒの日刊紙の記者だった著者は、ある日同僚から「あなたの家族の話よね?」と記事を見せられ、この事件のことを知った。そこには「地獄の招待王」の見出しとともに、マルギット・バッチャーニ=ティッセン伯爵夫人がユダヤ人虐殺に関わった、と書かれていた。彼女はパーティーを主催し、深夜、戯れに裸のユダヤ人の頭に銃を向け、引き金を引いたのだ、と。記事には写真も添えられていた。そこには見覚えのある大伯母の顔があった。