(篠原 信:農業研究者)
先日、農林水産省で講演する機会があった。研究内容ではなく、上司として部下をどう育成すればよいか、「自分の頭で考える部下の育て方」(https://t.co/s9ZePLXHV7)と題し、室課長以上の皆さんを目の前にして。いわば、子会社のヒラ社員が本社の幹部クラスに上司論をぶつようなもので、我ながらあまりに奇妙なことになったと、かなり緊張した。しかしそんな私の話を2時間も聞く度量と度胸を農林水産省の幹部の皆さんが持っていたことに、心から敬意を表したい。
馬が水を飲まないのは、水場に連れていっちゃうから
講演の副題は「指示待ち人間はなぜ生まれるのか」だった。このタイトルは、もともと、ツイッターでつぶやき、大きな反響があって、拙著を書くきっかけにもなった文章(https://togetter.com/li/895830)のタイトルでもある。この指示待ち人間の問題は、いまだにどこの職場でも悩ましいものとして認識されているようだ。
指示をして動くのならまだよい、指示をしても動こうとしない、という悩みを聞くこともある。「これだけお膳立てされて、あとは成果を出すだけ。俺だったら喜んで徹夜でもやってしまうのに、全然動こうとしない」。
子育てでも似たような悩みがあるようで、「塾にも通わせ、この参考書を買ってほしいといえばすぐに買ってやっているのに、ちっとも勉強しようとしない。いったい、どうしたら勉強するようになるのだろう?」そんな嘆きは、方々で聞こえてくる。
そうした状態を端的に表すことわざがある。「馬を水場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」。水がたっぷりある場所に連れて行って、「さあ、好きなだけ水を飲んでいいんだぞ!」と言っても、馬は馬耳東風。ちっとも水を飲もうとしない。条件が揃っているのにちっとも動かない部下や子どもの様子を、端的に表したことわざだと言ってよいだろう。
しかし、私は思う。「水場に連れて行くから飲まない、のでは?」と。馬に水を飲ませることは可能だ。水場に連れて行かなければよい。
水を飲みたくもないのに、飲めと言っても飲むものではない。ならば、のどが渇くまで、水場に連れて行かなければよい。水を飲まずにはいられないくらいに焦らせば、水場に連れて行ったとたんに、脇目も振らずにガブガブ飲むだろう。