「強いリーダーになってみたい」と思うのは自然な感情だが・・・。

(篠原 信:農業研究者)

 大量の職員を抱える超巨大組織を、たった一人で切り回すリーダーが現れると、私たちは強く憧れる。たった一人の言葉に大勢の人間が右往左往し、大慌てする姿を見て、「自分もにっくきあいつに、あんな風に泡を食らわせることができたら」と、自分のことに置き換えて、つかの間の爽快感に浸ることもできる。「強いリーダーに自分もなってみたいものだ」と願うのは、ごく自然の感情なのだろう。

思うように動いてくれない部下

 ただ、凡人である私たちがそうした人の真似をすると、往々にして厄介なことになる。例えば、抵抗勢力に立ち向かう自分のイメージに酔いしれてしまうと、他人の話に耳を傾けなくなってしまう。大組織に君臨し誰しも文句を言えない権力者をイメージしてしまうと、偉そうにふんぞり返ってしまう。的確な指示をビシビシと出しその通りに大勢の人々が動く爽快感をイメージしてしまうと、やたらと周囲に指示を連発するようになってしまう――。

 こんなふうになると、だいたい予想がつくだろう。あれれ~、人がついてこない。部下にそっぽ向かれる。指示したことしかしないどころか、うっかりしたら指示したこともしない。仕事が思いっきり停滞する・・・なんていう想像するだに恐ろしい事態に直面することになる。

「優れたリーダーは、『率先垂範』すべし」とよく言われる。私はこれを半分正しくて半分間違っている言葉だ、と考えている。正しいと思うのは、立派に見えるリーダーは、やはりみんなの模範となるような行動をとっていることが多いからだ。間違っていると思うのは、自分では率先垂範しているつもりなのに、どんどん部下が離れていく、部下が働かなくなっていくリーダーが大変多い実態を知っているからだ。