しかし、リーダーシップを説く文章を読んでも、多くが率先垂範を推奨する。うまくいく率先垂範と、うまくいかない率先垂範は何が違うのだろうか。

兵士の膿を吸い出してやった将軍

「孫呉の兵法」と言うように、「孫子」と並び称せられる兵法家に、呉起という人物がいる。この人は、将軍であるにもかかわらず、軍の一兵卒と同じ食事を取り、兵たちと同じように寝起きし、一緒に行軍するなど、「率先垂範」の典型例のような人だった。

 呉起で有名なエピソードがある。兵の中に膿で苦しむ者がおり、呉起が自ら膿を吸い出してやった。この話を、仲間の兵が母親に伝えると、急に母親は泣き出した。「将軍様が自ら膿を吸い出すなんて、名誉なことだ。なのにどうして泣くんだい」。すると母親は次のように答えた。「私の夫は、やはり呉起将軍に膿を吸い出してもらったことがあります。夫はそれに感激し、死を恐れず戦ったため、戦死しました。息子も同じように膿を吸い出してもらったと聞いて、きっと息子は命を惜しまずに戦い、夫と同じように戦死するだろうと思い、泣いたのです」。

 命を投げ出すほどに兵に慕われるというのは、果たしてよいことなのかどうか、このエピソードを知ると考え込んでしまうが、呉起が、兵たちの心をしっかりつかんでいたのがよく分かる話ではある。

「三国志」で常に孔明と戦った魏の将軍、司馬懿は、防御用の塁を築くのに、兵たちと一緒に土を掘り、運んだという。これも率先垂範の典型のような話だ。その甲斐もあって、あっという間に防御壁を構築することができたという。

 この二つのエピソードから見て取れる、よい意味での「率先垂範」の特徴は何だろうか。「人の嫌がりそうなことを進んで行う」ことではないだろうか。

 将軍様ともなれば、美食をしたいものだし、馬に乗って楽をしたいし、固い土の上ではなくやわらかいベッドの上で寝たいものだ。しかし呉起はそうしなかった。それどころか、普通の人でも嫌がる、膿の吸い出しを自ら行った。

 司馬懿もそうだ。土を掘り、それを運ぶという重労働は、誰もがやりたがらないこと。命令するばかりで、上司はのうのうと座っているだけなら、「なんだよ、俺たちにつらい仕事を押し付けて、自分は楽をしているのかよ」と、部下は文句タラタラになる。だが、司馬懿は泥だらけになるのもいとわず、重い土を掘ったり運んだりするのも嫌がらず、むしろ進んで行った。まさに、「率先垂範」だ。ただし、「人の嫌がりそうなこと」で、だ。

「率先垂範しているのになぜ?」

 もう一つ、この二人におそらく共通していただろう特徴がある。それは、決して部下を見下さなかっただろう、ということだ。

 仮に、「人の嫌がりそうなこと」を進んで行ったとしても、「俺はこんなに進んでやっているのに、なんだ、お前たちのその体たらくは!」と、見下すような素振りが少しでも見えれば、おそらく部下たちは「はいはい、ご立派ですねえ。それならご自身で全部やればいいじゃないですか。どうせ私たちは怠け者ですよ」と、ふてくされてしまうだろう。

 呉起も司馬懿も、おそらくは、「お前たちにばかりこんな仕事をさせていては申し訳ない、私もやろう」という姿勢だったはずだ。つまり、部下に「申し訳ない」とも思い、「感謝」していたはずだ。部下は、こうした心構えに敏感に反応する。えらそうにふんぞり返り、左団扇で楽をしていても誰も文句を言えない立場の人なのに、「自分たちにしんどい仕事をさせて申し訳ない、なんて思うなんて! そして自分たち以上にがんばるなんて! 負けていられるか!」となるのではないだろうか。