娘が離乳食を始めた頃、食べさせるのに苦労した。よそ見ばかり。私の方をちっとも向かず、食事以外のことにばかり関心を持ち、じっとしていない。ほとんどの時間、顔を向こうに向けたまま。見当をつけて、「口はこの辺りかな?」と、スプーンを突っ込んでみると、アゴに当たり、料理をボロボロこぼしたり。「こっち向いて!」と言っても、ちっとも聞いてくれない。
ギリギリ届く距離でスプーンを「ホバリング」
そこで私は一計を案じた。スプーンを、娘から約5センチ離して、空中にホバリング。ただひたすら待機した。
いつも、自分の口元まで運ばれてくるはずの食事が、ちっとも運ばれてこない。空中停止したスプーンを発見、口を開けて待ち構える。しかし私は動かさない。スプーンを娘から5センチ離したまま、空中停止。
しばらくして、娘はスプーンが口元に来ないことにしびれを切らし、自分から口を伸ばし始めた。5センチは、娘の姿勢からは、ギリギリ届く距離。そこまで口を伸ばして、ようやくパクついた。また、次のスプーンも、5センチ離してホバリング。すると、よそ見をほとんどせずに、飲み込んではスプーンに首を伸ばしてパクついた。
人間は不思議なもので、お膳立てされたことには興味が湧かなくなる。そこに、自分が能動性を発揮する余地が残されていないとなると、興味が湧かなくなるように、人間の心はできているらしい。お膳立てされているものはいつでもパクつける、と考え、「それなら他のことをしていよう」となるようだ。
人間はどうやら、能動性を発揮してはじめて達成できるものだけを楽しめるようにできているらしい。これは考えてみたら当然だ。テレビゲームで、もし、必ずゲームクリアできるようにお膳立てされており、失敗をしないように落とし穴も埋められ、敵も攻めてこないゲームがあったとしたら、あなたは楽しめるだろうか。