メンバーを指揮するリーダーになっている人はしばしば、失敗を恐れず、難関を乗り越えることを楽しむ、開拓者的な強い達成動機を持っている人です。ところが、8割以上を占める「普通の人」は、チャレンジャーと同じ資質を持ち合わせてはいません。つまり、開拓者のほうが例外的な存在なのです。

 逆に言えば、開拓者であるリーダーは、普通の人の感覚を持ち合わせていません。だから、どうすればみんながチャレンジできるようになるのかが、うまく理解できないのです。

 では、チャレンジに必要な要素とはなんでしょうか? それは「安全」です。

 普通の人は、安全に守られているからこそ、挑戦できるのです。挑戦と安全はセットなのです。例えばサイバーエージェントは「終身雇用実力主義」を謳い、挑戦の前にきっちり社員を守り、安全地帯を提供しています。

 こうした安全地帯は、どんな組織にも必要なものです。「挑戦しろ!」としか言わないリーダーは、チームを恐怖政治に陥れてしまいます。恐怖の下にいるメンバーは、怖くて誰もリスクは取れません。挑戦した風を装うことが精一杯、実に不毛な状態です。たとえリーダーが「俺が責任を取る!」と宣言しても、メンバーから「あなたは責任を取らないでしょう」とか「責任なんて取れないでしょう」と思われたら一発アウトです。

 しかし、逆に「安全」しかなくても危険です。それでは現状維持が精一杯の、甘えた、成長しないゆでガエル集団になり下がってしまいます。

 安全を提供し挑戦を促す両面を併せ持つのが、嵐のリーダー・大野君なのです。

 大野君の言動をウォッチしてみると、スイス名門のビジネススクールIMDで教えられている最新のリーダー論「セキュアベース・リーダーシップ」に通じるものがあることに気づきます。

 セキュアベースとは、ジョン・ボウルビィとメアリー・エインスワースによる「愛着理論」研究から生まれた概念です。例えば母親と公園に遊びに来た幼児をイメージしてください。小さい子どもは、親から離れた場所で遊んでいても、常に母親をセキュアベース(安全基地)としているのです。

 母親と公園に来た幼児は、他の子どもと遊具で遊んだり、親から離れた場所に「冒険」しに行ったりしても、ちょこちょこ母親の元に戻ってきます。母親との距離感は、それぞれ違いはあるものの、共通するのは、恐怖を感じたり動揺したりしたときには、全員が母親の元に急いで戻ってくることです。

 このとき母親は2つのことを行います。1つは、「よしよし」と寄り添って安心を提供すること。もう1つは、遊びの中で子どもに挑戦やリスクをとる機会を与え、それを自分自身でクリアさせることで自主性を育てるということです。安全だけなら「過保護」だし、挑戦だけなら「放任」です。この2つを合わせ持つ人が優れた母親であり、チームであればよきリーダーになります。

カリスマもセキュアベース・リーダーシップを身に着けた

 かつて、あのスティーブ・ジョブズは、自身が創業したアップルを追い出されるという経験をしました。追い出される前のジョブズは、同僚に有無を言わせず、支配欲が強く、長々と厳しく説教するような性格で、市場が変化する中で柔軟性に欠けるなど、彼の性向の全てがアップルにとっての毒になっていました。

 ところが1996年にアップルに復帰した時のジョブズは、すっかり別人になっていました。アップルを再生させ、世界をリードする会社にするため、自分の中の「悪魔」を封じ込め、安全と挑戦の2つを兼ね備えたカリスマになりました。一般的に知られているジョブズ像はこちらのほうでしょう。そう、セキュアベース・リーダーシップは、後からでも身に着けることができるのです。