では、なぜベンチャーキャピタリストの餌になりたくて「起業」する人なんて1人もいないはずにもかかわらず、多くの人が喜んで自ら進んで、ベンチャーキャピタリストの餌となる人生を選ぶのでしょうか。

 ここ十数年間、国を挙げて「起業だ起業だ」と騒げば騒ぐほど、目に見えて儲かるのはベンチャーキャピタルばかりで、事業的にも個人的にも経済に四苦八苦するベンチャー企業を立ち上げる人の数が増えるだけという傾向があります。

 そうであるにもかかわらず、日本はこの現象を周期的に繰り返してしまうのはなぜなのでしょうか。日本は、あと何回この不毛なサイクルを繰り返せば、本当の意味で産業の構築に資するような、健全なベンチャーエコシステムを生むことができるのでしょうか。

 前回は、その具体的な理由の1つとして、「ベンチャー企業を立ち上げようと考えている人に、業界の正しい情報が提供されない仕組みになっている」ことだと書きました。他にも、よく言われるように人材の流動性の議論や、株式市場の未熟さなどさまざまな原因があると思いますが、間接的ではあるけれど、より本質的で根深い理由が有るような気がしています。

 今回は、その「間接的だけど無視できない理由」について考えてみたいと思っています。

高度にシステム化された入試や就活

 ベンチャー業界に身を置いて15年が経ちますが、この15年でいわゆる「良い学歴」や「良い職歴」を持つ人がベンチャー業界に飛び込んでくる率が上がっているように感じます。

 他の国は知りませんが、日本において学歴とは「誰かが決めた指標に寄り添い、他者が設定した指標に自分を合わせるのが得意かどうか」を測った結果であると私は感じています。

 暗記中心の筆記テストの割合を減らし、考え方を評価する論文や面接での採点を重視すると方針を変えても、「公平な評価」が正解であることを前提とする以上は、誰かが論文や面接を評価するための「指標」を設定せざるを得ません。その結果、誰かが決めた指標に自分を合わせるのが得意な人が、勝ち残る仕組みになっていること自体には何も変わりはないと思うのです。

 むしろ暗記中心のテストだったら、誰かが決めた指標ではなく教養とか知識を試験しているとも言えたのに、面接や論文を重視したらそれは考え方を誰かが決めた指標に合わせるという一種の人格統制になりかねない、とひねくれたことを思うのは私だけでしょうか。