メンテナンスも補給もなしに2年間の行程と探査をこなしたはやぶさ1号の機体はボロボロでした。燃料は漏れ、4台のイオンエンジンのうち2台(最終的には3台)が故障し、姿勢制御用のリアクションホイールは3基中2基が停止していました。

 はやぶさ1号は一時の通信途絶から回復すると、残った冗長系をやりくりし、容器を抱えてよろよろと帰路を取りました。3億kmの真空を隔てた地球から、関係者がはらはらしながら見守り、宇宙ファンが声援を送りました。

 さらに4年後の2010年6月13日、はやぶさ1号は地球に到達しました。オーストラリア上空に試料容器を投下すると、全ての任務を終えた機体は大気に突入して燃え尽きました。その最後の姿はまばゆい流星として見えました。大川拓也さんの撮影した、はやぶさ1号の最期の姿を示します。(入念な準備と計算の必要な写真です。)

はやぶさの帰還(提供:国立天文台はやぶさ観測隊/撮影:大川拓也)

 回収された容器には、はたしてイトカワ起源の物質が確認されました。数μm~数十μmの塵粒子が1500粒以上見つかったのです。

 こうして超絶難易度のサンプル・リターン・ミッションは成功し、小惑星イトカワからの試料が地球にもたらされました。人類は、月、ヴィルト第2彗星(81P/Wild)に続く3番目の異星からの試料を手にしました。

 ちなみに帰還の翌日、ニュースメディアはほとんどがワールドカップの話題で持ち切りで、はやぶさ1号は小さな扱いだったのを覚えています。おそらくメディア編集部はこの宇宙機の重要性をよく理解できず、一部のマニアにしか受けない話題だと判断したのでしょう。

 その後、はやぶさファンの活動の盛り上がりが話題となると、メディアもこれを追いました。はやぶさ1号の活躍は人々の心を揺さぶり、本やTV番組や劇場用映画(4本も!)が作られ、今や誰もがはやぶさの名を知るまでになりました。(旧メディアがSNSの話題を追いかける存在になり、SNSの優位性が明らかになったのはこの頃だった気がします。)