グラフェン状のハニカム素材から励起されたマヨラナ粒子のイメージ。 Image by Jill Hemman and Oak Ridge National Laboratory, under CC BY 2.0.

(小谷太郎:大学教員・サイエンスライター)

 2024年3月、東京大学の大学院生今村薫平氏らの研究グループが、「マヨラナ粒子」について、立て続けに新発見を発表しました(※1-2)。マヨラナ粒子が塩化ルテニウムという物質の中に存在する証拠が見つかったといいます。

 このなんだかユーモラスな響きの粒子は、ある種の素粒子理論から予想されたものですが、まだ存在が確認されていません。

 この粒子の特筆すべき点は名前だけではありません。マヨラナ粒子を利用すると量子コンピューターが実現できるという可能性が指摘されています。そのため現在、量子コンピューターや物性実験、素粒子実験といったさまざまな研究分野で、この粒子を発見する競争が繰り広げられているのです。

 しかしここのところ、マヨラナ粒子の研究はおかしな様相を見せています。マヨラナ粒子を発見したという報告が業界を興奮させたものの、データの不審な点が指摘され、論文が撤回されたり、学術誌が「懸念の表明」をしたりという展開が相次いでいるのです。

 今回の発表は何を明らかにしたものでしょうか。これまでの不吉な流れを断ち切り、ついにマヨラナ粒子の存在を確実なものとするのでしょうか。

マヨラナ博士の失踪

 まず、マヨラナ粒子の生みの親、マヨラナ博士の悲劇から話をはじめましょう。そもそもこの粒子は、その誕生のいきさつからして謎がつきまとっていたのです。

 マヨラナ粒子は、イタリアの理論物理学者エットーレ・マヨラナ博士(1906-1938?)の考えた粒子です。

エットーレ・マヨラナ博士。

 マヨラナ博士はあまり多くの論文を残していないのですが、最も有名な業績は、1937年に発表されたマヨラナ粒子の理論です。博士は量子力学の計算に基づいて、奇妙な性質を持つ粒子の存在を予想しました。博士の意図は、当時(今も)謎に包まれた「ニュートリノ」という粒子を説明することにありましたが、その理論がもっと広い応用性をもつことが後に判明します。

 しかし不幸なことに、マヨラナ博士は健康を害し、精神的にも追い込まれていったようです。

 1938年3月25日、マヨラナ博士は旅行先のパレルモから、勤務先のナポリ大学物理学研究所の所長あてに、遺書と解釈できるメッセージを送ったのを最後に、行方不明となります。帰りの船便のチケットを買ったことは確認されているので、船上から海に飛び込んだものと推測されました。

 ただしこの公式見解を受け入れない人たちもいます。マヨラナ博士の家族は、自殺を禁じるカトリックの信者であった博士が自殺するはずがないと語っていました。また、博士は外国に渡って隠遁生活を送ったという説や、密かに僧侶になったという説を唱える人もいます。

 ともあれ、周囲から天才と呼ばれ将来を嘱望されていた理論物理学者の研究活動は、こうして終わりました。