実際には火星の表面にはそんな地形はありません。当時のローウェル天文台は、なんだか奇妙な空気に支配されていたようです。人間はいったん何かを信じ込むと、観察結果を信念に合致するように歪めてしまうことがあるのです。あるいは単に、ローウェルの意向に合わせて嘘をついた研究者もいたかもしれません。
火星の運河というフィクションは、人々の火星熱の原因となったのか、それとも結果だったのか、その辺は定かではありませんが、ともあれ火星はますます人々の興味をかき立て、火星人や火星の生命との邂逅を巡って多くの物語が創作され、その実在を信じる人もたくさんいたのです。
火星の生命発見の歴史 ―微生物は見つからなかった―
時代は飛んで、1976年はアメリカ独立200周年でした。NASAは火星探査機バイキング1号と2号の成功をもって、この日が来たのを祝いました。1号の着陸機が火星に着陸したのは1976年7月20日で、7月4日をちょっと外しました。
バイキング1号と2号の送ってきた火星の風景写真は人々を興奮させましたが、そこに生命の影はありませんでした。火星は美しいけれども不毛な砂漠でした。着陸機は火星の土壌を調べ、微生物を探しましたが、見つけることはできませんでした。
バイキング計画の大成功の後、一時期アメリカの火星探査は低調になります。1980年代に火星探査機は1機も打ち上げられませんでした。1992年に打ち上げられたマーズ・オブザーバーは、火星到着直前で通信途絶し、失われました。
もう一つの宇宙開発大国ソビエト連邦は、1960年代から何度も火星探査を行なっていますが、着陸ミッションは失敗続きで、一度も成功しませんでした。ソ連は1991年に崩壊し、火星探査どころではなくなります。
火星への道のりは遠く険しく、宇宙は人類の送り込む探査機を隙あらば叩き落とします。火星探査は過酷で成功率が低いミッションなのです。