火星の生命発見の歴史 ―運河の創造―
1877年、イタリアの天文学者ジョヴァンニ・ヴィルジニオ・スキアパレリ(1835-1910)が火星を望遠鏡で観測して地図を作成しました(図)。
天体スケッチというものは、望遠鏡を覗き込み、大気の影響でにじんだりぼやけたりする天体像を睨み、一瞬明瞭に浮かび上がる地形を捉えてすかさず描き付けるものです。名人の天体スケッチには、素人にはとても捉えられない細かい地形が浮かび上がり、見る人を驚かせます。
スキアパレリも相当な名人だったのでしょう。その火星地図には溝や海がびっしり描かれています。
この見事な火星地図は、イタリア語からフランス語を経て英語に翻訳される過程で、ドラマティックな誤訳が加えられて「完成」します。
独創的な訳者が「溝(カナーリ)」を「運河(キャナル)」と訳したのです。
こうして英語圏、特にアメリカでは、火星には高度な知性を持つ火星人がいて、惑星規模の土木工事を行なっているという解釈が広まります。
アメリカの天文学者パーシヴァル・ローウェル(1855-1916)は、火星人の存在を信じ込んだ火星人信者の一人です。ローウェルは資産家で、私設の天文台を持っていました。それも、手製の観測ドームを裏庭に設置したような規模ではなく、研究者の働く研究機関としての天文台です。
ローウェル天文台の研究者は、ローウェルの指導のもとで火星を観察しました。彼らのスケッチには、季節によって変わる植生や人工的な地形など、次々と火星人の証拠が描き出されました。そうした報告は学術雑誌に投稿されました。