――手数料がゲームのルールであると?

玉木 もう少し詳しく説明します。

 典型的なのは19世紀の終わりから第1次世界大戦直前までのイギリスです。

 イギリスは産業革命で「世界の工場」になったから世界を支配できた、と一般的には受け止められています。

 しかし18世紀から19世紀末にかけて、イギリスの貿易収支が黒字になったことはほとんどありません。もちろん貿易による利益は出ていましたが、それ以上に輸入が勝っていたわけですね。当時、イギリスは工業生産高では他国に追いつかれはじめていたのです。

 それに代わるようにして19世紀の後半以降に急激に増えていったのは、サービスからの収入、海運業からの収入、保険などでした。

イギリスが確立した「ジャイアンのシステム」

 19世紀のイギリスは世界最大の海運国家でした。と同時に、船舶や港湾などのインフラ、金融・保険などのサービス部門、また国際ビジネスや海上交通に関する法整備でもイギリスが世界の基準だった。他の国は、このイギリスが作った土俵の上で貿易をしていたわけです。

 さらにイギリスは、電信のネットワークを世界に張り巡らせました。世界中の海にイギリスの蒸気船を走らせるため各地の港湾整備にも乗り出していましたが、同じように海底ケーブルを使って世界中に電信網を広げることに力を入れていたのです。世界初の海底ケーブルである、イギリスとフランスを結ぶドーバー海峡横断ケーブルも、イギリスとアメリカを結ぶ大西洋横断ケーブルも、イギリスの手によって敷設されたものでした。こうしてロンドンは一躍電信網の中心となりました。

 この電信は、貿易決済システムをも一変させました。それまで遠隔地の国との間では振出人から引受人に手形が届くのに長い時間を要しましたが、電信を利用すれば数日で決済できるようになった。

 つまり、電信網の中心であるロンドンは、貿易取引決済の中心地としての地位を確立したのです。これにより多額の手数料収入が「自動的」にイギリスに転がり込むことになりました。

――その手数料収入でイギリスはヘゲモニー国家になったということですか。

玉木 私はそう考えます。

 資本主義の究極の姿は、自分自身が働くのではなく、他人を働かせて自分はその「上がり」をもらうというもの。その最たるのが手数料なのです。

 このシステムだと、他の国が経済成長すればするほど取引量は増えますので、決済システムなどを握っている国は、自動的に儲かるということになる。アメリカやドイツが経済発展すれば、最終的にはイギリスも儲かるという仕組みになっています。私はこれを学生たちには「ジャイアンのシステム」と言って説明しています。

――ジャイアン?

玉木 ドラえもんのジャイアンです。「お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの」という理屈です(笑)。ただし、ジャイアンほどの可愛げはありません。

――分かりやすい(笑)

玉木 その後、世界のヘゲモニーは第2次大戦を経てアメリカが握ることになりますが、イギリスが作ったシステムは非常に完成度が高かったので、ロンドンの金融街は今でも国際金融において重要な地位を占めています。