本当に読むに値する「おすすめ本」を紹介する書評サイト「HONZ」から選りすぐりの記事をお届けします。

(文:澤畑 塁)

 複数の角度から証拠となるものを収集し、それらを慎重かつ巧妙に組み合わせながら、歴史の大きなうねりを炙り出していく。研究の醍醐味、そして読書の醍醐味をこれほど堪能させてくれる本はそうないだろう。

 本書の主題は、インド・ヨーロッパ語族の拡散だ。英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語。そして北欧や東欧の諸言語に、ウクライナ語、ロシア語、ギリシャ語。さらにはペルシャ語や、ウルドゥー語、ヒンディー語など。それらはいずれも共通の起源を持ち、それゆえに「インド・ヨーロッパ語族」と総称される(図1参照)。その語族の言語は世界に広く分布していて、現在、それらを話す人たちはなんと30億人に達する。

図1 インド・ヨーロッパ語族の言語

 周知のように、インド・ヨーロッパ語族の拡散は大航海時代以降に加速している。だがじつは、すでに紀元前400年の時点でも、その語族はアジアやヨーロッパの広い地域に分布していた(図2参照)。ならば、インド・ヨーロッパ語族はどうしてそれほど広い地域にいち早く拡散したのだろうか。本書はその大きな謎に、おもに考古学と言語学を武器として挑んでいく。

図2 紀元前400年頃のインド・ヨーロッパ語族(語派)の地理的分布

 上下巻で、本文だけで650ページを超える大著だ。その議論を詳細に紹介するというのは、字数の点でも能力の点でもわたしの限界を超えている。そこで以下では、その議論のごく大まかな流れを紹介することにしたい。