人が生きていくうえで忖度は不可欠
昨年(2017年)の流行語大賞になったのが「忖度」であった。その意味は、すでによく知られているように、「他人の気持ちをおしはかること」(講談社『日本語大辞典』)である。これ自体、良いも悪いもない言葉である。
人が社会生活を送っていくためには、数多(あまた)の人々と接し、人間関係を構築することになる。またそれらの人々とプライベートでも、仕事でもさまざまな場面で出会うことになる。この時に、相手が誰であろうと一切の忖度なしに接するなどということは、まずあり得ない。
「一期一会(いちごいちえ)」という四文字熟語がある。字義通りでは「一生のうちに、その人と会えるのは一度限りである」という意味だが、茶道では、「客との出会いは一度限りのものであると考え、心をこめてもてなすようにと教える心得」(同前)とされている。心を込めてもてなすためには、相手の心を推し量ることが不可欠である。つまり忖度するということだ。茶道に素人の私が言っても説得力に欠けるが、そう思う。
夫婦関係でも、恋人同士でも、友人関係でも、忖度は絶えず行われている。仕事でも同様であろう。忖度こそが、潤滑油になっているのだ。だから忖度ができないような人は、人間関係も上手く構築できず、周りからは“人の心が分かってないな”などと揶揄されることになる。