防衛省が公募する安全保障関連の技術研究に対し、日本学術会議は構成員の総意としての総会ではなく、幹事会で「軍事目的の科学研究を行わない」とした過去の声明を継承するとした。
しかし、日本の安全を守るためには産業界の協力だけでなく、先進的な科学技術を探求する学界の協力が欠かせない。
学術会議は戦争に関わることに忸怩たる思いがあるというが、侵略戦争は憲法9条で禁止しており、日本の防衛技術研究はどこまでも戦争抑止や自衛戦争の目的に資するものである。
また、戦争に反対するのは学術会議の会員だけではない。会員以上に戦争したくないのが防衛省・自衛隊であり自衛官である。また国民のほとんどもそうであろう。
しかし、日本に脅威を及ぼし、あるいは侵略する国があれば、それを抑止し防衛しなければならない。そうでなければ日本の安全が保障されない。
憲法9条は、日本が侵略戦争をすることを禁止はするが、外国が日本を侵略することを抑止することはできない。従って、家に戸締りが必要であるように、国にも防衛のための備えは必要である。
かつてあった「戦争と平和」大論争
1978年9月15日付「サンケイ新聞」の「正論」欄に関嘉彦早大客員教授が「〝有事″の対応策は当然」という記事を掲載した。この頃は有事立法が争点化しつつあり、栗栖弘臣統合幕僚会議議長(当時)による超法規発言(78年7月)などがあった時代である。
関氏は、反対論者にはサンフランシスコ平和条約の全面講和論者の声明文や、60年安保改定時の知識人などの反対論と類似の言論が見られ、それらはヒトラーがベルサイユ条約に違反して軍事増強などをしているのを看過した宥和政策に似ていると評した。
また、「『善意』ではあるが、歴史の教訓に『無知』な平和主義者の平和論がある」として、「平和憲法をもった日本を侵略する国などあるはずがない。海に取り囲まれた日本に対する奇襲攻撃などあるはずがない、といった希望的観測に立った議論」は、水と安全はタダと考える日本人の俗耳に入りやすいが、万一にも政治家までがこうした希望的観測に迎合するようではかえって侵略を招き寄せかねないと警告した。
そのうえで、人為的災害である侵略などの有事に備えるべきであると主張した。
また、軍備や非常時の対応策を講ずることが戦争を招き寄せるという考えに対しては、スイスは民兵組織であるが侵略に対してはあくまで戦う決意で準備をしていたので、ヒトラーはスイスを通ってフランスに攻め入るのを断念したという例示で反論した。
森嶋通夫ロンドン大学教授が帰国便の中で関論文を読み、「何をなすべきでないか」と題する反論記事を「北海道新聞」(79年1月1日付)に掲載する。
新聞での論争は4回続くが十分な論議が尽くせないとして、その後は『文藝春秋』(1979年7月号)誌上で、「大論争 戦争と平和」の掲題の下、森嶋氏は「新『新軍備計画論』」を、関氏は「非武装で平和は守れない」を、全42ページにわたって展開した。両者は10月号でも同ページの補論を展開する。
森嶋氏は、英国の宥和政策がヒトラーの攻撃を招いたというよりも、ヒトラーがいる限り戦争は避けられなかったし、スイスを攻撃しなかったのは敵国と交渉する際の通路として利用しようと思っていたからだと述べ、関氏の軍事的備えを批判した。