石原慎太郎氏の記憶力や政治家としての感性には感心することが多かった。
日独の敗戦日のニューヨーク・タイムズ紙を村松剛氏が米国から持ち帰り、米国の日独に対する処方箋が全く異なっていたこと、また英国のホーキンス博士が来日して講演した折の地球文明論など、あちこちで書かれていたが、国家のエゴがむき出しにされた捉え方が見事で受け入れやすかった。
ホーキング博士の言説についてはつい最近も産経新聞のエッセイで拝見した。字句は違っても言わんとすることは同じであり、改めて記憶力に感心した。
ところが小池百合子都知事になり、豊洲問題の質問書に対する回答文書で、「記憶にない」「分からない」が多くみられることに、いささかの失望を禁じ得なかった。
小説やエッセイなどに記憶で書くのと、賠償責任に発展するかもしれない行政事案では致し方ないのかもしれない。
ただ、知事の登庁が少なく、幹部職員との連携の不足があったようにも仄聞する。しかし、知事の一声で豊洲事案のような小さからぬ金額の取引の歯車が始動したわけで、そうしたことに対する責任は、しっかり検証されなければならないであろう。
石原氏は言葉という武器をもっていたため報道関係者も迂闊にはものが言えなかったのかもしれない。しかし、豊洲問題が出てからというもの、これまでほとんど封印されてきた石原都政の闇にも光が当てられるようになってきた。
氏の著書『新・堕落論』ではないが、「週刊文春」(2017年2月23日号)の報道で見る限り、都民のための利他ではなく、「我欲」による利己の都政であったように見えてくる。百条委員会の設置も決まり、事実の解明が望まれる。
石原氏の問題解決への提言
石原氏は豊洲問題が出てきた後、産経新聞掲載(平成28年10月17日)のエッセイ「日本よ」で、移転問題について、自身の関わりの程度と、「不透明な事項を解明する鍵は顕在していると私は思っている」と述べる。
「築地の市場の移転先の豊洲の地にさまざまな不祥事が発覚しそのとばっちりが前々々任者の私にまで及んできて、ただの推測を元にした私自身の名誉にかかわりかねぬような中傷記事が氾濫し、心痛で健康まで損なわれた始末だった」と書いている。