皇居で新年の一般参賀、4万7000人余り

新年の一般参賀で手を振られる天皇、皇后両陛下(2017年1月2日撮影)〔AFPBB News

 安倍晋三首相は今年になって憲法改正について頻繁に発言している。

 憲法施行70年の節目や改憲が党是のこともあるが、より強く決意させているのは予測される国際情勢の激動に適切に対応する必要性の認識からではないだろうか。

 元日に国民向けに発表した年頭所感では、昭和天皇の昭和62(1987)年の歌会始における御製

わが国の たちなほり来し 年々に あけぼのすぎの 木はのびにけり

 を引用して、廃墟から見事に復興した日本の姿をお歌いになったと紹介した。

 しかし、伸びた木も成長が止まり、横に枝を広げていくように、この頃から出生数は戦後最低を記録し、バブル景気に沸いた経済は長いデフレの序章となり、日本の転換期になったとの認識も示した。

 それから30年がすぎ、70年間続いた戦後に、激動が押し寄せる予兆があることも事実である。平和の謳歌でやや受動的になっていた日本が荒波に飲み込まれないよう、そして積極的平和外交で国際社会の共生を訴えつつ、他方ではしっかりと根を張る必要性の強調でもあったようだ。

 1月5日の自民党本部での仕事始めの挨拶では、「新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か。今年はいよいよ議論を深め、だんだん姿、形を私たちが形作っていく年にしていきたい」と語り、「それぞれが責任を果たしていくことが求められている」と議員に自覚を促した。

 その後の役員会ではさらに歩を進めて「戦後のその次の時代を拓く。未来への責任を果たさなければならないと強く決意している」と語り、「本年、・・・日本を世界の真ん中で輝かせるために新たな国づくりを本格的に始動します。この国の未来を拓く1年とする」と、「戦後」に区切りをつけ、「ポスト戦後」の新しい時代を拓くことを明確に表明したのである。

 すべての原点が憲法の改正であることは言うまでもない。

元帥の意に反する「憲法の存続」

 そもそも、現在の憲法がどのようにして出来上がったのか。今では明らかであるが、その嚆矢ともなった江藤淳の『1946年憲法―その拘束』でいま一度確認しておきたい。

 マッカーサー元帥は日本が封建的であるとみていた。

 そこで占領開始直後の東久邇宮内閣の近衛文麿副総理兼国務相を招いて、元帥は「第一、憲法ハ改正ヲ要スル。改正シテ自由主義的要素ヲ十分取リ入レナケレバナラナイ。第二、議会ハ反動的デアル。・・・コレヲ避ケルタメニハ選挙権ヲ拡張シナケレバナラナイ、ソレニハ①家庭、婦人参政権ヲ認メルコト ②労務、物ヲ生産スル労働者ノ権利ヲ認メルコト」(引用は前掲書、以下同)であると述べている。

 続けて、「自分ハ日本ノ憲法乃至法律上ノコトハ宜ク知ラナイ。唯日本ニ戦争ニ乗リ出サシタ権力アリトスレバ、コノ種ノ問題ヲ解決スル措置ヲ講ズベキ権力モアルベキダラウト考ヘル。・・・端的ニ言ツテ、日本ノ議会モ日本ノ官吏モ唯連合国ノ意思ノ下ニノミ存在シ得ルノデアル。吾々ハ日本ノ政府ニ依リ合理的ナ過程ヲ以テ所要ノ措置ガ講ゼラレルコトヲ希望スル」とも語っている。

 「連合国の意思の下にのみ存在し得る」はGHQ(連合国軍最高司令部)が絶大な権力を持っているという圧力にほかならないが、一方では「合理的な過程を以て」というように民主主義的手段を歓迎する意向も示したのである。

 そう言いながら、「之ハデキルダケ急速ニ行ワレナケレバナラナイ、然ラザレバ摩擦ヲ覚悟シテモ吾々自ラ之ヲ行ワネバナラヌコトトナルノデアル」と止めを刺すことも忘れなかった。