天皇陛下「お気持ち」、身体の衰え「象徴の務め」に懸念

皇居で「即位の礼」に臨まれる天皇皇后両陛下(1990年11月12日撮影)〔AFPBB News

 天皇陛下は去る8月8日、テレビを通じて、国民に「お言葉」を発せられた。筆者は、「象徴としてのお務め」を中心にお話になり、後継者も引き継ぐように盛り立ててほしいと国民に語りかけられたとみた。

 しかし、世間では高齢や病気を勘案して公務負担の軽減などをご要望されたかのように受け取っている。

 週刊誌などを通じての情報しか持ち合わせない門外漢であるが、その事が気にかかって仕方がない。そこで、筆をとり始めてから約2か月余が過ぎ、この間に何度も「お言葉」に目を通し、真意がどこにあるかを探り続けてきた。

 「お言葉」には天皇の高齢化対処策としての国事行為や象徴行為を縮小するには無理があるし、また未成年や重病などの対策として摂政に代行させる案では務めを果たせない天皇がいることに変わりがない。

 任務を果たせない天皇の存在はいかがなものかと指摘されており、相当のご決意が感じられてならない。

 天皇はお立場上から現行の皇室制度についてお触れになることはできないし、また現憲法の下では国政に関する権能もお持ちでない。皇室の長でありながら、自らの意見を開陳できないことに、切歯扼腕されているお姿も彷彿としてくる。

 戦前のような元老や内大臣がいない中で、「個人」として国民に向かって「お言葉」を述べられるよりほかに方法がないのかもしれない。法治国家として、まず受け止めるべきは国会であり、内閣であろうが、果たしてご真意をどこまで汲み取っているのであろうか。

秋篠宮や同窓生の声

 そのように考えていた矢先の11月30日、産経新聞は秋篠宮の誕生日記者会見での発言を報道した。最も重要なことは、「譲位」の意向を表明されたことに対し、宮が「大変良かった」と、肯定の明言をされていることである。

 また、「即位されてから、陛下は象徴というのはどのようにあるべきかということをずっと考えてこられてきたわけです。長い間考えてこられたことをきちんとした形で示すことができた、これは大変良かったことだと思いますし、様々な制約がある中で、最大限に御自身の考えを伝えられたのではないかと考えております」と発言されている。

 折々に陛下が秋篠宮などに話されてきたことを、今回は国民に向かって話されたということで、陛下の真意が滲み出ていたということであろう。その点、首相の私的諮問機関である「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(今井敬会長)の方向はいささか違っているのではないだろうか。

 また、「象徴天皇」については、「いろいろな意見はありますけれども」と注釈をつけられたうえで、「今現在陛下が、象徴というのはどういうふうにあるべきかということをずっと模索し、考えてこられた結果だろうと考えています」と、陛下が長年思索され続け、行動されてきたことを認められたうえで、「私もそのお考えに非常に同じような気持ちを持っております」と、全幅の同感を示されている。

 秋篠宮邸で行われた記者会見には、紀子妃殿下も同席されており、「象徴天皇」の行動に同意ということは、天皇のお言葉にもあるように「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅」などの肯定でもあろう。

 このことからは、「夫婦そろっての行幸啓」が「象徴」として大きな意味を持っていると仰せのようにも受け取れ、皇太子妃殿下には一刻も早く健康を取り戻してほしいというエールにも聞こえる。

 皇太子一家はご成婚以来、妃殿下のご病気や愛子内親王の学校に関わる問題などがあり、皇位継承に関してもいろいろな意見がマスコミなどで報じられてきた。「お言葉」から、皇位継承の第1位にある皇太子一家には一段の覚悟が求められているとも言えよう。