皇居でオバマ大統領の歓迎式典、両陛下と笑顔で握手

皇居でバラク・オバマ米大統領を迎えられる天皇、皇后両陛下(2014年4月24日撮影)〔AFPBB News

 戦後45年を目前に「昭和」は「平成」と元号を変えました。これに伴って、少なくとも大きなメディアであまり頻繁に議論されなくなった1つに「天皇の戦争責任」が挙げられるでしょう。

 議論がピークを過ぎてしまった理由は、明らかに「昭和天皇の死」にあるでしょう。責任の何のと言っても、すでに亡くなってしまったのだから・・・というのは、一般的な司法の責任追及にあっては首肯されるところかと思います。

 しかし「天皇」の場合、事情が面倒なのは「個人」としてではなく、その位にあることによって責任が不可分に問われ得るところにあります。その根拠として欽定憲法を挙げることができるでしょう。

 戦後70年を過ぎ、明仁天皇が8月8日、歴史的と言っていい放送を公開されました。

 この日付の選択は広島と長崎の間の週明け月曜として選ばれたものと思われ、ソ連の対日参戦などは無関係と思います。しかし「8月」であるのは明らかに背景があることでしょう。

 この放送を公開された背景には、明らかに「天皇の戦争責任」の問題があるように、私は考えています。

 少なくとも天皇にとって「戦後」が全く終わっていないことは、文面の随所から読み取れます。

 単に内面で祈る、といったことにとどまらず「象徴的行為」を通じて、国民の目に見え、互いに声が聞こえるところで共に喜び、共に痛みを分かち合うことによって「象徴天皇」が「象徴天皇」たり得るという、いわば「私の天皇実践」が、極めて慎重に言葉を選ばれながら、大変な賢慮とともに簡潔に示されている。

 その背景に、私は、皇太子時代は東宮職参与として当時の明仁皇太子や浩宮と憲法や文化国家の法治体制を講じ、即位以降は宮内庁参与として天皇皇后と幅広い問題を縦横に議論された、故・團藤重光・東京大学教授の法理論との親和性を強く感じるのです。