リオデジャネイロ オリンピック・パラリンピックは、日本選手の活躍で盛り上がり、2020の東京開催を国民一丸となって後押しする契機づけになった。
中でも柔道は、本家の日本人選手が「礼に始まり礼に終わる」道の精神を世界に見せたように思う。また本来の一本勝ちにこだわり、同時に勝って驕らずの姿勢に努めていたように見受けた。こうした姿勢が国際柔道連盟にも良い影響を与えているようである。
他の試合においても日本人の礼節が随所に見られ、気持ちの良い応援ができた。
こうした中で、国民栄誉賞に輝いた人もいる。国民に感動と勇気、そして希望を与えた功績は大きく、当然かとも思う。その一方で、功績を称える顕彰についての疑問も大いに沸いてきた。
あまりにも恣意的な顕彰
1966年に設置された内閣総理大臣顕彰は、「国家、社会に貢献し顕著な功績のあったものを顕彰」するとしており、具体的には「国の重要施策の遂行」「災害の防止や災害救助」「道義の高揚」「学術文化の振興」「社会の福祉増進」「公共的な事業の完成」が対象項目となっていた。
通算本塁打世界新(756本)を達成した王貞治選手に賞を与えようと考えた福田赳夫首相(当時)は、内閣総理大臣顕彰の対象項目に合致しないため、具体的な対象項目を定めないで、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃える」ことを目的として、国民栄誉賞を1977年に創設した。
2004年には、細田博之内閣官房長官(当時)が、選考について「確たる基準がなく、その時々の判断」とし、「王貞治には授与されたが長嶋茂雄には贈られていない」など線引きの難しさを指摘したとされる。
2013年に長嶋が受賞する方針になった際には、王が「授与されていないこと自体、不思議に思っていた」とコメントしている。
顕彰の事務手続きを行う内閣府は、「時の政権が『国民栄誉賞を出したい』と言えば出さざるを得ない」と言うように、授与する側である首相の胸先三寸的なところがある。
その結果、国民の多くが受賞間違いなしと評価し、マスコミからも受賞を確実視されながら受賞に至らなかった例(高倉健?)もあり、評価基準が曖昧であるとの批判がつきまとってきた。
これまでの受賞者24人のうち、半数が没後追贈者である点からも、「なぜ存命のうちに授与しなかったのか」との声は絶えない。
ちなみに没後追贈者は古賀政男・美空ひばり・吉田正・遠藤実・服部良一(以上音楽関係)、長谷川一夫・渥美清・黒沢明・森繁久彌(以上映画関係)、植村直己・大鵬幸喜(スポーツ関係)、長谷川町子(漫画家)の12人である。
筆者は今回調べるまで、これだけ多くの故人へ追贈されていることを知らなかった。「政権浮揚が目的」「贈る側の賞で、贈られる側の賞ではない」など、政治利用とも思われる状況に疑問が投げかけられるのも当然であろう。
去る6月には、囲碁の井山裕太七冠に内閣総理大臣顕彰が授与されている。総理大臣顕彰としては6年ぶり32人目、囲碁界では初受賞である。
以前には水稲優良品種育成、「よど号」乗客救出、強盗事件犯人追跡などの功績、そして宇宙飛行士などに内閣総理大臣顕彰が授与されていた。今日ではスポーツや学芸関係が目立つが、これでいいのかと考えさせられる。