お酢はいつから「健康によい」調味料になったのか?

調味料の名脇役「お酢」の歴史と科学(前篇)

2017.03.24(Fri)漆原 次郎

 世界では、酒の造られるところでお酢が造られてきた。日本には5世紀ごろ応神天皇の代に、大陸から酒の醸造法とともに伝わったとされている。平安時代の律令の施行細則『延喜式』には、米、醤(ひしお)の類である蘖(よねのもやし)、それに水を使って毎年6月に仕込むと記されている。

 万葉集でも、歌人の長意吉麻呂(ながのおきまろ)により、お酢が詠まれている。

「醤酢(ひしおす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ われにな見せそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)」

 野びるを刻んで醤やお酢で鯛を食べたかったのに、水葱の吸いものなんて出さないでくれよ、ということだ。当時も高級食材だった鯛に、味噌や醤油の源流にあたる醤、それにお酢が調味料として使われていたことがうかがえる。お酢は、宮廷用のみならず早くも奈良時代から市で売り買いされていたともいう。

 室町時代にかけて日本におけるお酢造りの中心地は、和泉(現・大阪府堺市)の堺港だった。ここで造られた「和泉酢(いずみす)」は、米を原料として、糖化、酒の発酵、酢酸の発酵を同時に行って造る「米酢」の源流とされる。庶民の教科書『庭訓往来』にも各地の特産物として「和泉酢」の名が、「周防鯖」や「近江鮒」などと並び記されている。

江戸の握りずしに貢献した尾張半田の粕酢

 江戸時代に入ると、和泉酢の造り方を基本としながら、各地で工夫が加えられていき、お酢に多様性が見られていく。相模で造られ江戸城にも上納された「中原酢」、駿河は富士の麓の東泉院で造られた「善徳寺酢」、兵庫の豪商だった北風家による「北風酢」などだ。

 尾張の半田(現・愛知県半田市)からは、今の私たちの食生活ともゆかりの深い「尾張半田の粕酢(かすず)」が造られていた。

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