しかし、ここで養老孟司は全然慌てないのだ。
「まあ、僕の歳になったら、どうでもいい感じだけどね」
養老は昨年88歳になった。
「がんが見つかった時も、驚きはありませんでした。この年齢だったらがんの一つや二つあって当たり前だろうと思っていたから」
かれが「どうでもいい感じ」というのなら、ほんとうに「どうでもいい」と思っていて、驚きはないといったら、ほんとうに驚きはないのである。
「死に対して怖いという感情はないですね。だって、何を恐れていいかわかんないでしょ」。怖くないといったら、怖くないのである。
しかし養老がそこまで恬淡(てんたん)とできるのも、世の中のことはなるようになる(なるようにしかならない)、ということを真に受け入れているからである。
わたしも養老のように恬淡と生きられたら、と思う。
いざ我が身となってみれば
がんは昔のように、死病ではなくなった。
部位や進行速度にもよるが、平均すれば、がんの5年生存率は格段に上がっているようである。わたしの周りにも、胃がんになったが、手術をして元気な人もいる。
そうではあるのだが、やはりがんは嫌である。
わたしは半年ごとに血液検査をしていて、そのときに医者の勧めで前立腺がん検査をこれまでに2回受けたが、異常なしである。
だから前立腺がんは大丈夫なのだが、その他のがんは不明である。食道や胃が怪しいという予感があるのだが、久坂部の父親とおなじで、検査は受けない。
わたしにも「がんの一つや二つあって当たり前だろう」。
それでもやはり、見つけられたくはないのだ。いざ我が身となってみれば、「こいつはたまらん」からである。