久坂部の父親、久保輝義は1926年(大正15年)生まれ。一人っ子で体も競争力も弱く、なにをしても負けてばかりだった。
そこでかれが生み出した戦法が「戦わずして勝ちを譲る」、すなわち「必ず先に負けを取る」という、いわば「先手必敗」の独自の戦法だった。これだと「戦って負けるよりも悔しさが少なくてすむ」。
これは真似できない、大した人である
久坂部はさらに、父親の人となりについて詳しく書いている。
「父は運転免許もないし、麻雀もパチンコもせず、酒も弱く、グルメや財テクにも興味はなく、女性は好きなようだがさほどモテず、世間一般の男の楽しみにはまるで縁のない人間だった。しかし、歴史や美術が好きで、喫茶店巡りと自転車散歩が日課で、映画を観たり、美術館に行ったり、デパートや地下街でウィンドー・ショッピングするのが楽しみだったので、自由な時間を謳歌していた」
これを読んでまた驚いた。80%、わたし自身のことではないのか。
50代後半、食道がんの疑いがあった。しかし再検査しても大丈夫だった。
それ以後、「がん検診や人間ドックはもちろん、何か症状があってもいっさい検査は受けないで通した」。
それだけではない。健康維持のためになにもせず、好きな食べ物やタバコを我慢することもなく、それで「結果的には87歳まで生きた」。
最後の日々。まだ意識がしっかりしているとき、かれは「母や私の手を握り、目尻に涙を溜めて」こういった。
「いい人生やった。ほんまに幸せな一生やった。十分、長生きしたし、何も思い残すことはない。ありがとう」
これだけは真似できない。大した人である。
わたしが考える生き方の達人は
わたしも、わたしが考える生き方の達人をひとり挙げておこう。養老孟司である。
養老孟司は2024年、ステージⅡBの小細胞がんにかかった。
小細胞がんというのは「タチが悪いがん」で、「5年生存率は、わずか11.5%」だという(「私の『大往生』 養老孟司『たまには自然に譲れよ』」。『週刊文春』、2025.8.25)。
4日間入院したが、幸いなことに抗がん剤が効き、放射線に切り替えた結果、綺麗に消えていた。ところが昨2025年4月、反対側の肺に転移していたことがわかった。