文化功労者に決まり会見する司馬遼太郎さん(1991年10月、写真:時事通信社)
(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
今年の6月、司馬遼太郎の『街道をゆく』(朝日文庫)全43巻をやっと読み終えた。読み始めてから何年かかったのだろう。
あいだに、どうしても他に読みたい本が出てきて、それが図書館の本だったりすると、そっちを優先するため、『街道をゆく』はその都度、遅れるのである。
しかし遅れるのが、まったく苦にならないのだ。それだけ全43巻を長く楽しめるからである。
それほどまでに、このシリーズは読書の愉しさを与えてくれた。
いや、それまでも読書一般の愉しさはあった。だから本を読んできたのだ。しかしこのシリーズの愉しさは、また別種の味わいがあったといわねばならない。
多少大げさにいうと、その1行1行、1頁1頁、1巻1巻を満喫し、堪能したのである。それだけではない。大いに勉強にもなったのである。
78年生きてきて、こんな読書体験は初めてだった。
ところが作家の今村翔吾は、この全巻をなんと中学生のときに読破したという。すごい人がいるものである。
『街道をゆく』を読む前は、わたしは勝手にこう思っていた。
司馬遼太郎があらかた主要な長編作を書き終えたのちに旅に出て、軽い気持ちで書いたのんびりした紀行エッセイだろう、と。
ところが、これがとんでもなかったのである。
計り知れない知識量、読みながら嘆息がとまらない
たしかに「竜馬がゆく」や「関ヶ原」や「世に棲む日日」は書き終えていた。
しかし1971年1月、司馬が47歳で「街道をゆく」の連載を週刊朝日で始めたとき、まだ「坂の上の雲」や「城塞」や「花神」は紙誌に連載中だったのである(「翔ぶが如く」や「空海の風景」、「播磨灘物語」や「韃靼疾風録」は、これ以後、「街道をゆく」と同時並行的に書かれることになる)。
ほとんど信じられないほどの驚異的な執筆量である。そしてこれが、1996年1月までの26年間、つづいたのである。
しかもこれが、軽い紀行エッセイどころではなかった。
