司馬が長編小説を書くとき、神田の古本屋でそのテーマの関連資史料をトラック一杯分蒐集した、というのは有名な話である。
おなじように司馬は、「街道をゆく」の取材にでかける前にも、徹底的に下調べをしたそうである。
大阪府東大阪市の司馬遼太郎記念館に展示されている「街道をゆく」の直筆原稿と、取材時に使ったペンとノートなど(写真:共同通信社)
『街道をゆく』の最後の担当者である村井重俊氏が書いている。
「『街道』とは、司馬さんが徹底的に調べ、現場を歩き、司馬さんだけが広げることのできるドラマなのだ」
その結果、『街道をゆく』のなかには、司馬の博覧強記ぶりがちりばめられている。1行1行のなかに、わたしの知らないことが2つも3つも述べられていて、読みながら嘆息がとまらないほどである。
1行の断定や推定の背後に、どれだけの知識量が隠されているのか、計り知れないのだ。
最終巻の薄さが表すもの
わたしは司馬遼太郎の小説を読破したわけでもないのに、なぜ『街道をゆく』を読み始めたのか。
動機はもう覚えていないが、一番最初に読んだのが、『36 本所深川散歩・神田界隈』だったのはまちがいない。
神田の街は、わたしが大学に通い、卒業後は会社に通った一番なじみのある街だったからである。
そのあと読んだのは、わたしの故郷の大分が入っている『8 熊野・古座街道・種子島みち』の巻であり、ついでわたしが好きな『24 近江散歩・奈良散歩』である。
もちろん、全43巻すべてがおもしろい。それでも印象に残る巻がある。
とくに印象に残っているのは、『2 韓のくに紀行』、『5 モンゴル紀行』、『30 愛蘭土紀行Ⅰ』、『31 愛蘭土紀行Ⅱ』、『36 オランダ紀行』、『40 台湾紀行』といった海外編である。
これらの巻では、登場する人物たちがとくに魅力的なのだ。
わたしは『街道をゆく』を順不同で読み始めた。しかし最後は43巻目にした。『街道をゆく』の最終巻である。その巻には『43 濃尾参州記』という副題がつけられている。
「濃」は美濃、「尾」は尾張、「参」は三河である。
この巻は未完である。武田信玄の死の描写をしたあと、「未完」の文字が打たれている。
