骨董品の皿で餌を食べる猫の価値が上がる
まあ、5億円のマグロを食べたことがないので、スーパーで買う数百円のマグロと味がどれほど違うのかは、私にはわからないところではあります。要するに、「価値」というものは、見つめる角度によって変わる、不確かなものなのかもしれません。
そんな「価値」を見つめる角度について、あざ笑うような一席をご紹介しましょう。それが『猫の皿』です。
■落語『猫の皿』のあらすじ
骨董屋の男が、旅先の茶屋で休憩中、猫が餌を食べる古い皿に目をつけます。
「あれは高麗の名品、梅鉢の皿だ! 価値は数百両以上だ。ははあ、茶屋の爺さんはその値打ちに気が付かないから、猫の皿として使っているのだろう。よし、あの茶屋の爺さんに気づかれぬよう、猫を三両で買って、『皿はおまけで』と持ちかけるか」と算段をし、まず「猫を三両で買いたい」と訴えます。
茶屋の爺さんは了承し、猫を三両で売ります。すると骨董屋は、「猫は器が変わるとエサを食べなくなるというから、その皿も持っていくからな」というと、爺さんは、「その猫は三両で売りますが、この器は三百両という値打ちのあるものですから売りません」と言い放ちます。
骨董屋は尋ねます。「それが値打ちのある器だと知っていながら、なんで猫の皿につかっているんだ?」と。爺さんは、「はい、こうしていますと、時折猫が三両で売れますので」
短い落語ですが、「価値は逆転する」という視点で捉え直すと経済の真理が見えてくるような感じがしませんか? そして、「いつの世も、儲けている奴のほうが一枚上手」という、厳しい現実を浮かび上がらせているようにも思えます。
この視点で5億円のマグロを問うてみれば、興味深いはずです。マグロは大間産の本マグロで、品質は間違いありませんが、5億円という価格は「一番マグロ」のプレミアム、つまり「使用価値」ではなく「交換価値」によって吊り上げられたものです。競りでは、すしざんまいと競合他社の攻防が続き、5億円を一気に突破したとのことですが、実体とはかけ離れています。
まるで、『猫の皿』を巡る駆け引きにも見えてきます。