「ゆづる兄ちゃん」の演技が背中を押した

 2人の2学年下で、3枠目に滑り込んだ三浦選手にとっても、羽生さんは大きな存在だった。鍵山選手が「ザ・アスリート」と例える羽生さんを、三浦選手はかつて「ザ・教科書、お手本のような選手」と尊敬のまなざしを向けていた。

三浦佳生選手にとって羽生さんはまさに「ザ・教科書」のような存在だという(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 三浦選手の2920年12月29日のインスタグラムに「過去一幸せな瞬間でした!!!『4回転綺麗だったよ、頑張ってね』」と声をかけられたことを投稿し、「憧れの方に少しでも近づけるようにまた頑張りたいと思います!」と決意のコメントを綴っている。

 男子スケーターだけではない。

 女子で初の五輪代表に選ばれた20歳の千葉百音選手(木下グループ)にとっても、羽生さんは特別な存在だ。

幼少期には「ゆづる兄ちゃん」と呼んで遊んでもらったという千葉百音選手も、羽生さんの演技に刺激を受けている一人だ(写真:スポーツ報知/アフロ)

 同じ仙台市出身で、アイスリンク仙台で練習をしていた幼少期は「ゆづる兄ちゃん」と呼んで、リンクでは鬼ごっこをして遊んでもらった。そんな羽生選手の2014年ソチ五輪の演技は「見ていて凄く心を突き動かされました」と今も記憶に鮮明だ。

 羽生さんと同じ宮城・東北高から早大人間科学部の通信教育課程へ進んだ。五輪シーズンのフリーは、羽生さんのソチ五輪と同じ「ロミオとジュリエット」だ。五輪代表に決まった翌朝の囲み取材では、羽生さんとの話題にメディアの質問が集中するほどだった。

「競技力も人間性も、偉大な方。自分が上に行けば行くほど、羽生さんのすごさを思い知らされます。少しでも自分がやりきったと思える五輪になるよう頑張りたいです」

 2011年からフィギュアスケートを取材する筆者にとって、五輪シーズンの全日本選手権は4度目の取材となった。

 2013年の全日本は羽生さんが優勝してソチ五輪代表入りを決め、2017年は右足首のけがの回復が間に合わずに欠場を余儀なくされたが、積み上げてきた抜群の実績で平昌五輪の代表入り。そして、2021年はコロナ禍の大会を通算6度目の頂点に立って五輪3大会連続出場を決めた。

「ミラノ世代」のスケーターにとっての羽生さんは、フィギュアの人気を競技の枠を飛び越えてメジャーにした、とてつもなく大きな存在だろう。羽生さんは、その人気にあぐらをかくことなく、極限まで自らを追い込み、その背中で「世界と渡り合う覚悟と勝利へのあくなき意志」を示してきた。

 東京・代々木の全日本会場に羽生さんはいなかった。しかし、羽生さんの思いを受け継ぐスケーターたちが、躍動した。プロの舞台でフィギュアスケートの魅力を新たな形で体現している羽生さんの存在感は今なお、五輪を目指す競技スケーターたちに好影響をもたらしている。

田中 充(たなか・みつる) 尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授
1978年京都府生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。産経新聞社を経て現職。専門はスポーツメディア論。プロ野球や米大リーグ、フィギュアスケートなどを取材し、子どもたちのスポーツ環境に関する報道もライフワーク。著書に「羽生結弦の肖像」(山と渓谷社)、共著に「スポーツをしない子どもたち」(扶桑社新書)など。