ケース②:東京から和歌山へ、地域のアイデアを集めて新ビジネスを生み出す

 クオリティソフト株式会社は、1984年に東京都千代田区で創業し、クラウドを利用したIT資産管理用ソフトウエアを開発・販売している企業である。代表取締役CEOである浦聖治さんは、和歌山県串本町の出身で、高等専門学校を卒業後、音響機器メーカーにエンジニアとして就職、1984年に東京都千代田区でクオリティサービス株式会社を創業した。2016年に和歌山県白浜町に本社を移転している。

 同社は、南紀白浜空港から車で10分ほどの小高い丘の上に本社を構えている。約1万8000坪の敷地全体を「INNOVATION SPRINGS」(イノベーションスプリングス)と名付けている。

 敷地内に建つ社屋は本社部分とイノベーションオフィスに分かれている。イノベーションオフィスには約100人が収容可能なセミナールーム、約20人が働けるコワーキングスペース、そして約20人を収容できる宿泊施設がある。

 敷地内には野菜や果物を栽培できる畑やビニールハウスもある。白浜の海岸がすぐ目の前にあるので、豊かな自然を感じられる。
 
 同社が和歌山県に進出したのは、開発拠点を和歌山県田辺市に設立した2001年である。開発拠点を田辺市に開設した理由は二つある。一つは、働きやすい環境を確保するためである。地方であれば東京より広い場所を安く借りられるので、作業環境を改善できると考えた。もう一つは、自治体の支援である。浦さんは積極的に支援してくれた田辺市に決めた。

 田辺市への移転後、浦さんは想像以上にエンジニアを雇用できたという。その結果、新たな課題をみつけた。一つ目は、駐車場の不足である。より広い駐車場が必要になった。二つ目は空港からのアクセスである。田辺市は南紀白浜空港から車で約40分のところにある。もっと空港から近いところに移転できないかと考えるようになった。

 そこで、浦さんは南紀白浜空港のある白浜町に目をつけた。現在も同社の顧問である知人が協力してくれて、白浜町にあるグラウンドゴルフ場跡地を紹介してくれた。この物件が現在のイノベーションスプリングスである。そして2016年の移転に合わせて本社とした。

 イノベーションスプリングスでは、自社のクラウド技術を生かして、敷地内のどこにいても仕事ができる環境になっている。浦さんは従業員同士のコミュニケーションのため「MagicaBlanca」(マジカブランカ)というシステムを開発した。

社内のカフェテリアに設置された「MagicaBlanca」

 基本的な機能はオンライン会議システムと同じである。特徴は、開始時間や参加メンバーを指定してから会議を始めるのではなく、常に映像と音声が相手先とつながっている点である。

 地域住民とのコミュニケーションも大切にしている。イノベーションスプリングス内にある飲食店「くおり亭」は、平日は社員食堂として、土日は自然食レストラン「たまな食堂」として営業している。

 平日も土日も一般の人が利用できる。玄米粉麺の富田うどんや日替わりランチが人気である。ランチタイムには定期的に地元のアーティストを招待したコンサートを開催している。地域住民が80人ほど集まるという。

 ほかにも、週末の3日間で起業を体験するイベントや、ひきこもり経験者に参加してもらいデジタル技術を活用して在宅でできるビジネスを考える「ひきこもりハッカソン」などを開催し、社外の人をあの手この手でイノベーションスプリングスに招いている。また、地域活性化の目的で婚活イベントを過去8回開催してきた。

 イノベーションスプリングスには、程なくして多様な人材が集うようになった。白浜の自然に魅了されて移住したカナダ人のエンジニアのほか、IT企業でありながら、敷地内で植物を育てる園芸担当の従業員や、地元で雑貨店を経営していた経験を生かして木製の雑貨を製造・販売する従業員などもいる。

 このように、イノベーションスプリングスでは新たな事業が誕生している。その一つがドローンソリューション事業である。同社は広大な土地を生かして一般社団法人日本UAS産業振興協議会の認定操縦技能・安全運航管理者コースを提供している。

 さらに、ドローンの訓練から生まれた新製品が「アナウンサードローン」である。

 くおり亭を訪れた白浜町役場の職員から、沿岸部や山間部で暮らす住民に防災放送を届けづらいという課題を聞き、浦さんはドローンを使った解決策を模索していた。

 ちょうど同じ頃、浦さんは従業員から、家族が開発したスピーカーの完成度をみてほしいと頼まれた。浦さんが昔、音響機器メーカーのエンジニアだったからである。それは圧電スピーカーという電圧をかけて特定の材料を振動させ、空気を揺らして遠くまで音を届けるものだった。

 浦さんはこの圧電スピーカーとドローンとの組み合わせを思いついた。

 さらに、くおり亭を訪れた地元ラジオ局の社長から、人工知能(AI)で英語や中国語、韓国語など28カ国語に翻訳して放送できるAIアナウンサーシステムの存在を教えてもらった。浦さんは、このシステムも組み合わせれば、白浜を訪れた外国人にも防災放送を届けられると考えた。こうして上空からスピーカーで多言語の音声を発信するアナウンサードローンが誕生した。

 得意のクラウド技術も組み合わせることで、ドローンで撮影したリアルタイム映像を自治体などと共有し、避難指示を速やかに届けられるようにした。

 アナウンサードローンをきっかけに、同社は白浜町と防災協定を結んだ。こうした成果はメディアに取り上げられ、アナウンサードローンはすでに東京都品川区や栃木県小山市などで導入されている。2025年1月には、東京消防庁も導入した。イノベーションスプリングスから生まれたアイデアが全国に広がっている。

 今回紹介した2社は、移転先で新たな事業の種を発見し、成果を得ている。その過程で地元の人々を巻き込み、移転先に活気をもたらしていることも見逃せない。これは地方創生につながる大きな成果といえる。連載後編では、二つの事例から移転を成功させるためのポイントを五つ挙げたい。

【後編はこちら】“脱東京”で年商4倍を実現、福井に移転した中小企業はなぜ多角化に成功したのか?地方移転の成否を分けるポイント

【興味のある方はこちらもご覧ください】

日本公庫総研レポート「首都圏から地方への移転で事業を拡大する中小企業」 東京23区から地方に本社機能を移転した中小企業5社の事例をもとに、地方移転の成果や成功のポイントを考察しています。