「与えられた独立性」と「勝ち取った独立性」は違う
日本の財政・金融政策を巡る騒動を見ていると、「中銀の独立性」はインフレにまみれ、国民が痛みを被った時に「中銀が政治の傀儡にされてはならない」という危機感から初めてありがたみが出てくるものなのだと痛感する。
日銀は新日銀法(98年施行)を契機に独立性を付与された。大蔵省接待汚職事件を契機に大蔵省の強大な権力にメスが入り、銀行監督権限と金融政策への指示系統が剥奪されるに至った。
細かな歴史的経緯は別の資料に委ねたいが、結局、日銀の独立性は汚職を契機として「与えられたもの」であって、危機感から「勝ち取ったもの」ではなかったというのが最大のポイントなのだろう。
というのも、対照的にドイツ人が抱えている筋金入りのタカ派気質は「インフレが社会を崩壊させ、独裁を生んだ」という歴史認識に由来している。
第一次大戦後のハイパーインフレが社会を不安定化させナチス台頭の土壌となり(1923年)、1948年も同様の通貨不安からデノミが実行されたという経緯がドイツにはあった。結果、「通貨の安定(≒物価の安定)こそが、民主主義と平和を守る土台」という経験から学んだ教訓があったわけだ。
1948年直後、ドイツ政治もブンデスバンクへの介入意欲を隠していなかったが、結局、民意が盾となりブンデスバンクは独立性を勝ち取ることに成功し、今日に至っている。その強情さも時に波風を立てているが、何かと言えば日銀や金融政策に議論を帰責させようとする日本とはかなり距離を感じる。
日本は30年間、インフレのない世界に生きていたため、「物価の安定」や「インフレの怖さ」を知る機会も必要もなかった。むしろ、インフレには羨望すらあった。その過程で独立性も勝手に付与されたので、勝ち取ったものではなかった。
現状、リフレ政策の必然の帰結としてインフレと通貨安が発生したわけだが、この状況に至って「植田日銀の公表文の表現がハト派寄りであるため円安になった」というのは的外れが過ぎるのではないか。
これからの日本はインフレという経験から学びつつ、「中銀の独立性」を本当の意味で獲得しに行こうとする道程が始まったと考えておくべきなのだろう。
骨の折れる議論が2026年も続きそうだが、とりあえず、何かあったら中央銀行に帰責させようとする風潮は先進国において極めて稀有であるように思える。それは日本の経済政策論壇の宿痾とも言えるような現象だが、これを機に修正を望みたいところだ。
※寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です。また、2025年12日22日時点の分析です
2004年慶応義塾大学経済学部卒。JETRO、日本経済研究センター、欧州委員会経済金融総局(ベルギー)を経て2008年よりみずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。著書に『弱い円の正体 仮面の黒字国・日本』(日経BP社、2024年7月)、『「強い円」はどこへ行ったのか』(日経BP社、2022年9月)、『アフター・メルケル 「最強」の次にあるもの』(日経BP社、2021年12月)、『ECB 欧州中央銀行: 組織、戦略から銀行監督まで』(東洋経済新報社、2017年11月)、『欧州リスク: 日本化・円化・日銀化』(東洋経済新報社、2014年7月)、など。TV出演:テレビ東京『モーニングサテライト』など。note「唐鎌Labo」にて今、最も重要と考えるテーマを情報発信中