日本のSESとは似て非なるFDE

 生成AI時代になり、多くの企業がFDEを必要とし始めました。しかし、パランティアは、その必要性を20年近く前から理解し、組織として実装してきたのです。

 だからこそ、今になって再評価されました。

 FDEとは新しい肩書きではありません。AIを現場で使うための覚悟の表れです。

 そしてパランティアは、その覚悟を最も極端な形で体現してきた企業になります。

 AI時代の競争力は、技術の優劣ではなく、誰が最前線で責任を持つかで決まるのです。FDEという概念と、パランティアの歩みは、その現実を経営者に突きつけています。

 ここで興味深いのは、フォワード・デプロイド・エンジニアという働き方が、日本のSES(System Engineering Service=システム・エンジニア・サービス)のスタイルと非常によく似ている点です。

 日本では長年、エンジニアが顧客先に常駐し、業務を理解しながらシステムを作り上げてきました。

 この形はしばしば古い、非効率だと批判されますが、現場に入り込むという点だけを見れば、AI時代に再評価されるべき要素を多く含んでいます。

 FDEが価値を持つ理由は、現場の文脈を理解し、机上では見えない判断基準を体得できるからです。

 それは、日本企業が得意としてきた現地現物や改善の文化と重なります。つまり、日本の風土はFDEと決して相性が悪いどころか、むしろ適合的だと言えるでしょう。

 問題は、日本のSESが責任と裁量を与えられてこなかった点にあります。現場にはいるが、決断はできない。設計には関わるが、成果には責任を持たない。

 この状態では、FDEにはなれません。

 パランティアがやっていることは、常駐そのものではなく、責任を最前線に置くことです。

 もし日本企業が、SES的な常駐文化に、判断権と成果責任を組み合わせることができれば、日本型FDEは十分に成立します。

 AI時代に必要なのは、新しい働き方をゼロから輸入することではありません。すでにある文化を、思想として再定義することです。

 フォワード・デプロイド・エンジニアという言葉は、その再定義のための鏡にすぎません。

 AIは現場で使われて初めて意味を持ちます。

 そして現場に最も近い場所に人を置いてきたのは、実は日本企業でした。

 日本がAI時代に再び競争力を持つかどうかは、この手法をどう活かすかにかかっているのです。

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