連歌会失陥事件
先の説明を見ての通り、事件内容はいかにも作り話めいており、実際にあったかどうか、研究者以外には実否の判断がつかない。
ちなみに、これ全て近世の文献にしか見られない逸話で、出所は太田贔屓の系図や軍記が出典の可能性が高いようである。
文献それぞれの成立時期を特定するのは困難なので、現段階で断定はできないものの、大まかな流れとしては、「太田系文献→その後の軍記および系図類→一部の小田家公式記録」へと伝播したものと見える。
この事件を記す軍記の内容を見る限り、小説としても筋の弱い内容である。
事件のあった大晦日、氏治は群臣一同を小田城の本拠に集めているわけだから、そこに集まる武将は小田軍最強クラスの有能な指揮官たちであるはずだ。
懇親会を兼ねた集まりでもあるのだから、それなりの従者や兵士が揃えられていないとおかしい。それを怠るような無能者ばかりでは、何度も小田城を奪還できるわけがない。
そして、太田道誉ほどの者がそんな危険なところに攻め入るだろうか。むしろ、小田家臣が不在の城を狙ったり、陽動を仕掛けて、城を空っぽにさせてから夜襲するのがセオリーなのではなかろうか。
ところが軍記は兵がいなかったなどとは記していない。それに戦死した人名も見られない。
話としては、このように抜けが多く、現実的な説得力に欠けているのだ。