これからのジャーナリズムで価値を生み出す人
ただ、それはもちろん「ジャーナリスト」という職業の終わりを意味するものではない。人間にとっても、機械にとっても「情報」となっていない事実を掘り出し、情報化する作業は、まだ人間にしかできない(将来はロボットがそれも担う可能性はあるが)。
逆に言えば、エージェンティック・ジャーナリズムの時代には、いわゆる「文章力」が不要になる。したがって、これまでとは違うタイプの人々が、ジャーナリストとして活躍するようになるかもしれない。
この時代のジャーナリストにとって最も重要なのは、「何が確認済みの事実で、何が関係者の発言で、どこからが推測や解釈なのか」を厳密に区別する力だ。AIは文章を生成できるが、事実と解釈の境界に責任を持つことはできない。その線引きを正確に行い、誤解の余地なく情報を切り出せる人こそが、価値を生み出すことになる。
また、速報を追い続ける能力よりも、出来事を文脈の中に位置づける力が重視されるようになるだろう。単発のニュースを伝えるだけでなく、それが過去のどの決定や制度とつながっているのか、どこが新しく、どこが変わっていないのかを整理する力だ。
「読者の手元にあるAIが、読者向けにニュースを再構成する」という前提に立つ以上、背景や前提条件を明確に示すことが、ジャーナリストの重要な役割となる。
表現のあり方も変わる。人間の感情を強く刺激する曖昧な言い回しや断定的なレトリックは、AIによって誤って拡大解釈される危険がある。そのため、慎重で地味に見える書き方こそが評価される。因果関係を過度に断定せず、条件や限界を明示し、誤読を防ぐ姿勢が不可欠になる。
さらにはAIを敵視するのではなく、その使いどころを理解し、編集工程の一部として扱える感覚も重要だ。文章生成をAIに任せつつ、事実確認や構造設計は人間が担う。その役割分担を意識できるジャーナリストは、AI時代においても中心的な存在であり続ける。
最終的に、この時代に活躍できるのは、目立つ記者ではなく、名前そのものが信頼の印になる記者だろう。エージェンティック・ジャーナリズムの時代、ジャーナリストは表現者ではなく、情報の信頼性を保証する設計者へと役割を変えていく。その変化に適応できる人物こそが、次の時代の中核を担うと考えられる。