記事は「入力データ」に近づいていく
そうした新しい形態のジャーナリズム、彼が言うところの「エージェンティック・ジャーナリズム」では、チャットボットやウェブ検索エージェント、ニュース要約AIといった自律的なソフトウェアが主な「想定読者」となる。記事は人間を感動させるためでも、関心を惹くためでもなく、「機械による正確な処理」が行われやすくなるように書かれる。
その結果、従来のジャーナリズムで重視されてきた要素の多くが不要になる。印象的なリード文、物語的な構成、情緒的な表現などはAIにとっては冗長であり、むしろノイズになりかねない。代わりに重視されるのは、事実の明確さと理路整然とした構造だ。
誰が、何を、いつ、どこで、なぜ行ったのか。公式な引用はどれか。背景となる文脈は何か。関連する過去の出来事やデータはどこにあるのか。こうした情報を、AIが容易に抽出・再利用できる形で提示することが求められる。
フォーマットも変わる。文章は流れるような散文ではなく、箇条書きや構造化データ、場合によってはJSON(データを「名前」と「値」の組み合わせで表す形式で、システム上で情報を整理してやり取りするのに適している)のような形式で提供される可能性がある。記事は「読むもの」ではなく、「入力データ」に近づいていくのである。
「この種のジャーナリズムが、健全なニュース環境の一部となるのか、それとも避けられない経済的現実となるのか。答えは、あなたがどれほど楽観的であるかによって決まる」とトリエリは結んでいるが、少なくともこうした形態のジャーナリズムは珍しいものではなくなるだろう。