統合失調症患者の「特徴的な感じ」

──看護学生のAさんは、重度の身体障害を持っている患者以外にもさまざまな患者と関わりますが、中でも統合失調症の患者との関わりにおいて経験される「特徴的な感じ」は気になりました。精神医療系の専門家と話をすると、統合失調症患者との関わりでは独特の感触を得るという話を聞きます。この「特徴的な感じ」とは、どのようなものだと思われますか?

西村:看護学生Aさんは、その統合失調症の患者と関わっているときに、他の人と関わっている感じとは何かが違うと感じたそうです。

 精神科医の木村敏さんの言葉をこの本の中でも引用しました。木村さんの場合は、患者と初めて出会った時に感じる独特の印象、つまり相手ではなく、自分の側に表れてくる感覚を手掛かりに診察することもあったそうです。

 この独特の感じとはいったいどのようなものなのかと私は長いこと考えていました。そうしたら、私の書いた『語りかける身体 看護ケアの現象学』を読んだ統合失調症の患者さんが、ある時に私に手紙をくださいました。

 その方は「僕はここに書かれている視線が絡むということができないのです」と手紙に書いていました。話をするときに、なぜか視線が合わず、相手の視線の手前や、相手の視線のもっと後ろのほうに焦点が合ってしまうそうです。

 先ほどの看護学生のAさんの感じた「特徴的な感じ」も、おそらくそうしたあたりからくる違和感なのではないかと思います。視線が合っている感じがしない。視線が絡まっている感じがしない。そのことが、どこか関係の難しさを生み出すのです。

 こうした気づきが治療や支援の手掛かりになる可能性があります。その視線の合わなさをチューニングしていくことが治療につながるかもしれない。そして、こういう違和感を素人に近い学生であっても感じられるということが意義深いと思うのです。

 専門家が専門的な知識があるから分かることではなく、普通の関わりの中に違和感を見つける。そうした違和感をどう扱って、次の展開に持ち込めるかが大事だと思います。

──「視線ごときが」といったら失礼ですが、これほどコミュニケーションにインパクトを与えるものかと驚かされます。

西村:目を合わせるってすごいことですね。私たちは、目を合わせて相手と話をしながらも、じつはずっと相手と目を合わせ続けることもできないのです。

 相手を見ている。相手もこちらを見ている。相手を見ながら、相手がこちらをどう見ているのかも見ている。よく考えるとどちらがどちらを見ているのか分からない。考えれば考えるほど、目を合わせるとは自他未分化で言葉では言い表しがたい経験です。