投手では「神様、仏様、稲尾様」と言われた西鉄ライオンズの稲尾和久が、無名の大分県立緑丘高出身。
漁師の父親は中学を出たら船に乗せるつもりだったが、野球に夢中になった稲尾は頼み込んで高校に進む。高校時代も無名だったが、高校の先輩の河村英文が西鉄で活躍していたこともあり、1956年、ライオンズに入団。当初は打撃投手だったが、春季キャンプ終盤には大下弘、中西太、豊田泰光など主力打者も稲尾の球を打てなくなり、先発陣の一角に抜擢され、この年21勝で新人王、61年には史上最多タイの42勝を挙げる。
母校緑丘高からプロ入りした選手は、先輩の河村、稲尾を含め3人だけ。甲子園出場はない。野球部は1967年限りで活動を停止。今は大分県立芸術緑丘高となりデザイナー、アーティストを輩出している。
筆者は九州でこの高校の卒業生と話をする機会があったが「緑丘といえば有名な先輩がいますよね?」と話を振ると「はい、リリー・フランキーさんです」と即答されて、えっ?と思ったことがある。
「国立高専卒」で唯一のNPB選手
変わり種は、今季、阪神で「50試合連続無失点記録」という大記録を樹立した石井大智。国立の秋田工業高等専門学校出身。高専は5年制だが、3年次までは高校野球の公式戦に参加することができる。秋田工業高専は1985年から夏の地方大会に参加しているが、2回戦までしか進出したことはない。
石井は高専卒業後は技術職として働くつもりだったが、独立リーグ高知ファイティングドッグスを経て、ドラフト8位で阪神に入団した。国立高専初のプロ野球選手だった。
今年8月17日、巨人戦で40試合連続無失点のプロ野球新記録を樹立したときの阪神・石井大智。その後、連続無失点の記録は「50試合」まで伸ばした。NPB唯一の「国立高専卒」のプロ野球選手だ(写真:共同通信社)
こうして書いていて思うのは「無名校」出身の選手の方が、ストーリーが入り組んでいて断然面白い、ということだ。