日本人の大半が理解していないデータ民主主義
行政が保有しているデータは、単に「行政のもの」ではなく社会の共有財産である。そして、そのデータを扱う主体・主権は行政ではなく市民自身だが、残念ながら欧州のような「自己データを自分で扱う文化」が成熟していない。
マイナンバーカードとマイナポータルは、市民の権利行使のために用意されたものである。しかし、残念なことにこれらは「監視の道具」「徴税の道具」として誤解され、「市民の権利インフラ」「権利ツール」としては認知されない。行政側が「使い方」「価値」を市民に十分説明していないこともあるが、マスコミもそのような価値観を広めようとしない。
例えば、マイナ保険証からは紐づけられた受診履歴や薬剤情報、PMH(Public Medical Hub)からは予防接種や感染症などの医療情報が入手できる。それらを活用することで、薬の飲み合わせアラート、重複検査の省略、家族・介護者との情報共有、リハビリや在宅ケアとの連動、予防医療や有効なセカンドオピニオンなどが可能となり、最適な医療を受けられる。
医療情報は自分自身の資産、自身の健康管理・ケア・予防に活かせるデータである。「見せてはいけない」という意識を変え、自己データを自分で管理・提供する意識の醸成が必要だ。
自分のデータを自分で確認・コントロールできる、行政・事業者がデータを使う際に市民が監視・説明を要求できる、データを活用して多様なサービスで市民に価値が還元される、そのような市民が主体となるデータ活用社会(データ民主主義)が真に豊かなデジタル社会だ。
デジタル国家推進のためには民間の協力が必要だが、政府と民間の間には目を覆いたくなるような現実があった。デジタル化を目的に民間がシステムを開発する場合、政府がシステム要件等を整理した仕様書が必要となる。ところが、いまだに「仕様書が紙で送付される」「受領のたび押印を要求される」「廃棄証明書を要求される」といった紙を前提とした事務手続きとなっているのだ。
そればかりか、仕様書の入手手続き自体が煩雑で時間がかかる。システムを企画・検討する段階で仕様書を確認することすら難しい。そして、マイナンバーカード、マイナポータル、マイキープラットフォームなど所管や問い合わせ先がバラバラ、同じ部署でも内部でたらい回しにされる。せめて問い合わせ窓口くらいワンストップにすべきだろう。