「次の波」は違う方向から来る
事例(アネクドーツ)としての変調が報告され始めてから、全面的な危機に至るまで約2年。金融危機の大波が全世界に波及するまでに、それだけの時間がかかったことになる。
そうした事態を受けバーゼル銀行監督委員会では、国際的に活動する銀行に対する規制を全面的に見直すことになり、2006年に完成したばかりの「バーゼルⅡ」と呼ばれた枠組みの大規模な見直し作業が始まった。それが、後に「バーゼルⅢ」と呼ばれる今日に至る規制の枠組みになる。
米国でサブプライム住宅ローンの焦げ付きが深刻化したのは、米国経済の過熱が認識され、金融引き締めが行われた中でのことだった。したがって、米国で政策金利の引き下げが始まっている今とは大きく環境が違う。
しかし、当時もよく言われたが、次の波はいつも違う方向から来る。国際金融危機が起こった時、米国ではサブプライム住宅ローンをたくさん集めて、信用度に応じて分離し証券化した金融商品が広範に出回っていた。そのうち、信用度の高い部分の証券化商品は、信用度が高いわりには高利回りだったので、多くの金融機関が購入していた。それが危機の出発点だった。
当然、そうした金融商品は過去にはなかったのだが、当初、想定していなかったほどの割合でサブプライム住宅ローンの焦げ付きが発生すると、安全だとみなされ、金融商品としての格付けも高かった流動化証券の価格は短期間で大きく低下した。
売ろうにも売れない事態となり、金融機関が自己資本を毀損するに至った。そして、さらには金融機関の破綻に対する保険を売っていた保険会社の経営をも危うくしたのである。
バーゼルⅡの枠組みは、銀行が直面する様々なリスクを多角的に把握したうえで、確率的に低くても、かなりひどいことが起こる事態まで想定して、万が一、そうした事態が起きても対応できる十分な自己資本を銀行が持つという規制だった。
ところが、国際金融危機で起こったのは、その枠組みを作った際に想定したのとは違うかたちのショックが入り、かつそのショックの程度も想定以上のものだった、ということである。