高市首相と中国の習国家主席は首脳会談で握手を交わしたが、緊張が高まっている(写真:代表撮影・共同通信社)
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台湾有事をめぐる高市早苗首相の発言により、日本と中国の関係が緊張度を増しています。この間、当局者たちが1972年の日中共同声明に触れるケースも増えてきました。この共同声明には「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」という合意などが盛り込まれています。中国と国交を正常化し、台湾と断交した日本。現代の対中関係の基礎となる「1972年の日中共同声明」をやさしく解説します。

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日中戦争から35年、ようやく国交を正常化

 日中共同声明の署名式が行われたのは、1972年9月29日のことです。場所は北京の人民大会堂「東大庁の間」。日本側からは田中角栄首相・大平正芳外相ら、中国側からは周恩来首相・姫鵬飛外相らが出席しました。田中・周の両首相は報道陣の前でそれぞれ毛筆を使って署名し、声明文を交換して固い握手を交わしました。

 1937年の盧溝橋事件を機に始まった日中戦争、その後の太平洋戦争、1945年の日本敗戦に至るまで、日本と中国には国家間の正常な関係がありませんでした。この共同声明によって、日本と中国(中華人民共和国)は国交正常化を成し遂げますが、敗戦から27年、日中戦争の始まりから数えると、35年が経過していました。

 日本をめぐる国際環境は当時も激動期です。

 第2次世界大戦の終結後、中国では共産党と国民党の内戦が激化し、やがて共産党が勝利。1949年に中華人民共和国(北京政府)が建国されました。国民党は台湾に逃れ、中華民国は台湾で存続することになります。北京政府と台湾政府。この2つの政府が中国で併存する形は、こうした経緯を経て始まりました。

 当時は、資本主義の「西側」と、社会主義の「東側」が激しく対立する東西冷戦のさなかです。西側陣営に属する日本は、米国などと共に台湾政府のみを中国の正統的な政府とみなして国交を維持し、北京政府を国家として承認していませんでした。