米中接近と「一つの中国」
やがて朝鮮戦争が勃発(1950〜1953年)。中華人民共和国の人民解放軍は北朝鮮に部隊を送り、米国・韓国を中心とする国連軍と激しい戦闘を続けます。韓国国防部の軍史編纂研究所の統計によると、双方の死者は軍人だけで100万人近く、民間人を含めた死傷者・行方不明者は数百万人に及んだとされています。東西の「冷戦」は、朝鮮半島で「熱戦」になったのです。
ところが、激しく対立していた米中は、1970年代初めから密かに接触を開始します。そして1971年7月、当時のニクソン大統領は突然、全米向けのテレビ演説で米中の関係正常化のため大統領自身が近く北京を訪問すると発表しました。いわゆる「ニクソン・ショック」です。
翌1972年2月には北京で米中首脳会談が開かれ、「互いの敵視政策をやめる」「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」などの平和共存5原則に合意。修復不可能と言われていた両国の関係は、一転して正常化に向かい始めました。
日本・中国をめぐる関係年表(図表:フロントラインプレス作成)
米中接近は日本政府のあずかり知らぬところで進められたとされ、日本側に大きな衝撃をもたらしました。当時の田中角栄政権は、米中の動きに突き動かされるようにして北京政府との交渉を開始。そうした流れの末、1972年の日中共同声明が出され、日本は中華人民共和国との国交を樹立したのです。
では、この日中共同声明にはどんなことが書かれているのでしょうか。