淀を愛し、淀に愛された「孤高のステイヤー」 

 茨城県美浦(みほ)村にある美浦トレーニングセンターに所属する関東馬でありながら、ライスシャワーがお気に入りだったのは京都競馬場でした。

 G1レース3勝はすべて淀の京都競馬場で制覇し、馬にも「馬が合う競馬場」があることを教えてくれる1頭でした。

 淀を愛し、淀に愛されたライスシャワーですが、予後不良となった1995年の宝塚記念は本来、阪神競馬場で開催されるレースでした。この年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の影響で、開催が得意の京都競馬場に変更され、さらには一時ヒール役に甘んじていた同馬のスタッフたちにとって、「宝塚記念出走馬ファン投票第1位」といううれしい知らせは、ヒーロー役へと突き進む絶好の機会と思ったことでしょう。

 強敵だったナリタブライアンが出走しないことも決断に後押しをさせ、条件は整いました。しかし前述のとおり、ライスシャワーを待っていたのは悲しいシナリオでした。

 京都競馬場の入口ゲート近くには「疾走の馬 青嶺の魂となり」と刻まれたライスシャワーの石碑が花に囲まれて建っています。「魂」は「たま」と読みます。

 作句したのはライスシャワーの馬主だった栗林英雄氏の妻・育子の姉だそうです。リアルタイムでその馬の「疾走」ぶりを知っている人は年ごとに少なくなっているのでしょうが、小さな石碑に手を合わせる若い女性がよく見かけられるようです。

 淀を愛した、孤高のステイヤー。

 これは、ライスシャワーが淀に散った翌年の1996年にJRAが発行したポスター「ヒーロー列伝」のキャッチコピーです。もちろん希代のステイヤーだったライスシャワーのことを指しています。

 競馬評論家の大川慶次郎は生前、ライスシャワーのことを「ヘビーステイヤー」と称していました。

 競馬用語としてのステイヤー(stayer)は「長距離馬」を指しますが、元来「滞在者、留まる者、持久力のある者」のことを意味している言葉なのですから、持久力で他馬に負けなかったライスシャワーには、長くこの世に留まっていてほしかった……。あらためて合掌──。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)