1995年4月23日、第111回天皇賞、ステージチャンプの追撃を抑えゴールするライスシャワー(左) 写真/共同通信社
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(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)

本命馬を付け狙う刺客役

 小泉進次郎農相が政府備蓄米だとか随時契約だとか、お米に関する政策をテレビ画面の中で熱弁していたり、NHKの大河ドラマ『べらぼう』を覗けば、米価高騰による天明の打ちこわしのシーンが流れたりと、このところお米に関する話題が巷を賑わせていますが、あえて競馬と紐づければ1頭の馬が即座に思い浮かんできます。

 30年ほど前に三冠馬目前だったミホノブルボン、天皇賞・春の3連覇をめざしていたメジロマックイーン、この2頭の名馬の野望を断ち切った「刺客」、ライスシャワーのことです。

 ライスシャワーのレース人生を振り返ると、1991年8月の新馬戦を振り出しに、およそ4年の間に名脇役・敵役から主役へと出世、1年半のスランプ期間を経て再び主役へと返り咲き、わずか復活40日後、お気に入りだった京都競馬場でのレース中に故障し天に召される、という波乱の生涯を送った名馬です。

 ライスシャワーは黒みがかった赤褐色の馬体をしていて(黒鹿毛といいます)、テレビ画面だとわかりにくいのですが、小柄な馬体に力がみなぎっている印象を受けます。

 お米の白さをイメージする馬名とは裏腹に、一見して黒い馬体は精悍さをいや増していて、ファンの目からすれば本命馬を付け狙う刺客役として何かやってくれそうな雰囲気があったかと思います。当時の私は付け狙われる本命馬のほうを応援していたので、ライスシャワーの存在にレース後、「そうだったのか」と反省と勉強不足を促されたものでした。

 危険な馬であることを初めて認識したレースが、全国の競馬ファンにライスシャワーの名を知らしめた1992年のダービーでの2着入線です。

 一番人気は5戦全勝のミホノブルボン、皐月賞に勝利し、クラシック2冠目のダービーでも単勝2.3倍と断然の大本命。レースは予想どおり、ミホノブルボンが2着馬に4馬身の差をつけての圧勝で終わりますが、2着に飛び込んできたのが18頭中16番人気だったライスシャワーでした。

 優勝したミホノブルボンとの馬連馬券が2万9580円という高配当、ダービーの馬連配当としては30年以上経過した現在でも、歴代2位という高さです(1位は2007年のウオッカ&アサクサキングスの5万4470円)。

 2着馬・ライスシャワーの複勝配当が1990円というのも、ダービーの出走頭数が18頭立てになった1992年以降、歴代3番目の金額になっていることから、レース前のライスシャワーの評価がいかに低かったかがわかります。