生涯成績25戦6勝でも名馬と言われる理由
ライスシャワーの4年に及ぶ生涯成績は25戦6勝、勝率からすると3割に遠く及ばないので、「名馬」の称号を贈るのに少々ためらう人がいるかもしれません。
されど、この6勝の中身が重要で、1991年9月に行われた3歳新馬戦とその3週後のレース(芙蓉ステークス)での勝利を除くと、4歳クラシック3冠目の菊花賞(G1)、古馬(当時の5歳以上)となってからの日経賞(G2)、天皇賞2度(G1、93年春、95年春)、つまり6勝のうち、3勝がG1レース(G1のなかでも格付けの高いG1)であり、重賞4度の勝利の内容は、この馬の特徴をわかりやすく教えてくれています。
各レースの距離を記すと、菊花賞=3000メートル、日経賞=2500メートル、天皇賞(春)=3200メートルです。
競馬では、馬の適正を大雑把に次のようにとらえています。1000~1200メートルのレースが得意な馬を短距離馬、1400~1600メートルを得意とする馬をマイラー(1マイルが1600メートルなので)、1700~2400メートルを得意とする馬を中距離馬、2500メートル以上を得意とする馬を長距離馬と称しています。
これでおわかりのように、ライスシャワーの重賞レース勝利はすべて2500メートル以上の長距離戦で、小柄なれどスタミナ豊富な長距離走者の資質を持っていたのです。
血統をチェックしてみると、父はリアルシャダイで母がライラックポイント。母の父が前回の当欄に登場したマルゼンスキー、長距離をこなす血の背景がありました。
興味深いことは、父の父・ロベルト(1970年代初期に活躍したイギリスの馬)は、1972年、当時イギリス国内レースでデビュー以来15連勝中だった期待馬に初めて敗戦の苦汁をなめさせています。
人気馬に勝ったものの国中のファンの夢を破ったことから、以来ロベルトには「悪役」のイメージがついて回ったそうです。「刺客」と称されたライスシャワーも、どこかおじいさんの血を引いたところがあったのかもしれませんね。
さて、手元に「JRA(日本中央競馬会)60周年記念」と題して発売された『60YEARS 名馬伝説』(2014年、トレンドシェア刊)という全ページカラーという豪華本があります(現在も新品入手可)。
上巻が1994年~2014年、下巻が1954年~1993年のレースで活躍した名馬たちを掲載していて、上巻には120頭、下巻には123頭の名馬たちが登場、1970年代以降の馬たちからは懐かしさや親しみを、それ以前の馬たちからは現代へと連なる競馬史を学べるような喜びを感じさせる保存版です。
ライスシャワーは1991年8月~1995年6月のレースまで出走しているので上巻の最後に登場、作家の原田康子(2009年、81歳没)が「宝塚記念での悲劇─京都第3コーナー下り」と題して、次のように綴っています。
(前略)ライスシャワーが転倒した第3コーナーの下りはかつてテンポイントが故障した場所だそうである。テンポイントは手厚い看護を受けたと聞くが、ライスシャワーはただちに予後不良となった。左第一指関節開放脱臼。3つのG1を制した淀のコースで、ライスシャワーはいのちを絶った。
小柄な黒鹿毛は、いまだに私の心の中で走りつづけている。ミホノブルボンを抜き去り、メジロマックイーンを差し切ろうとしている。
ライスシャワーが宝塚記念で非業の死を遂げてから今年でちょうど30年になります。お米は一粒から数多くの米粒が収穫できることから、本来は豊作と子孫繁栄の願いが込められた結婚式でのパフォーマンスが「ライスシャワー」の意味するところですが、種牡馬としてのライスシャワーの子孫繁栄の夢は消えました。
覇を競ったメジロマックイーンの孫に凱旋門賞2年連続2着の世界的名馬、オルフェーブルがいるように、ライスシャワーの血を継いだ馬たちを見てみたかったですね。
たとえ血は継いでいなくとも、せめて「刺客」と「主役」の両者をこなせる「ライスシャワー2世」の登場を期待することにしましょう。