1998年7月5日、宝塚記念を制したサイレンススズカ(左) 写真/共同通信社
(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)
日本競馬史を変えたかもしれない名馬
前回、現役活躍馬だったライスシャワーが1995年の「第36回宝塚記念」のレース途中で故障を発生、症状は重く、その場で予後不良(回復困難)と判断され、直後に薬殺されたことを書きました。すると、それ以来どこからともなく「私のことも書いてください」という声が聞こえてくる気がして困りました。
その声の主はライスシャワーが死亡した3年後の1998年に、やはりレース中に骨折し安楽死を遂げたサイレンススズカでした。60年ほど前に日本で放送されていた米国製テレビドラマ『ミスター・エド』に登場する人間の言葉を話す馬、エド君ではありませんが、スズカくんは心にだけ響く日本語で私に訴えてきたのです。
ついでながら、ドラマでエド君の声を担当していたのは、落語家・三遊亭小金馬(のちの故・二代目三遊亭金翁)師匠で、当時『お笑い三人組』で知られる人気者でしたが、「馬」つながりの吹き替え抜擢だったのでしょう。
さて、以前にこの連載(第10回)で1999年「第78回凱旋門賞」2着馬エルコンドルパサーのことを取り上げ、実績・実力とも歴代最強馬に最も近い1頭ではないかと書きましたが、そのエルコンドルパサーに日本馬で唯一先着した馬が、今回取り上げるサイレンススズカです。1年後に凱旋門賞2着となるエルコンドルに、このとき2馬身近くの差をつけての勝利でした。
三段論法を用いれば、もしサイレンススズカが凱旋門賞に出走していたら、日本馬として初の栄冠に輝いていたかもしれませんね。実際、最後のレースでの故障さえなければ(後述)、凱旋門賞挑戦や米国遠征なども計画されていて、実現していれば競馬の歴史が変わったかもしれない、というほどの名馬でした。