史上最高のG2レース「毎日王冠」完勝と「天皇賞」の悲劇
日本競馬史上「最高のG2レース」といわれる伝説のレースがあります。1998年10月11日に東京競馬場で行われた「第49回 毎日王冠」です。サイレンススズカが出走してくるということで、出走を取りやめた馬もいて、9頭立てで行われました。頭数は少なくても、そのメンバーが豪華でした。
ざっと列挙すると、エルコンドルパサー(出走時5戦全勝、うち1勝はG1。翌年「凱旋門賞」2着)、グラスワンダー(同4戦全勝、うち1勝はG1)という伸び盛りの4歳馬(現3歳)の2強のほか、テイエムオオアラシ、サンライズフラッグ、ランニングゲイルなどの重賞馬が出走、決して相手に恵まれているわけではありませんでした。
それでも、前述のとおり、2着馬のエルコンドルパサーに圧勝、サイレンススズカ1頭だけが傑出していたのです。実況していたフジテレビの青島アナの「どこまで行っても逃げてやる」の名文句がいまだに耳から離れません。武騎手もこの勝利に対し格別な感慨を抱いたようで、ゴール後、通常G1レースでの勝利のときにしか行わないウイニングランを行っています。
1998年、サイレンススズカにとってこの年7レース目であり、最後のレースとなる「天皇賞・秋」は同じ衝撃でも振り子の幅が歓喜とは反対側に振り切れるほど悲しいものでした。前走の圧勝劇でサイレンススズカの人気はさらに高まり、このレースでの単勝オッズは1.2倍と断然の1番人気に押されていました。
武騎手も強豪たちに圧勝した前走「毎日王冠」での勝利でさらに自信を深めたのでしょう。レース前の馬場入場の際、外ラチ沿いに気合たっぷりの様子で騎乗、相撲でいえば横綱の土俵入りを観客に披露するような心持ちだったのではないでしょうか。
順調にスタートを切ったサイレンススズカと武騎手は、いつものようにスタートから先頭を走り続けますが、4コーナー手前で左前脚の粉砕骨折を発症し失速、その場で安楽死の処置がとられました。急転直下、あまりにも突然の別れに、観客やファンはその状況についていくことができないかのように呆然としたことでしょう。私もそのひとりでした。
「天皇賞」のレース自体はオフサイドトラップが勝利して終了しましたが、競馬場にいたファンはもとより、テレビ観戦のファンは皆、サイレンススズカの姿に言葉を失い、まさに同馬の父サンデーサイレンスという馬名に示されたような「沈黙の日曜日」となってしまいました。
サイレンススズカにとって最後のレースとなった衝撃の「天皇賞・秋」を含め、1998年の競馬は、この馬のためにあったと思わざるを得ないレースばかりです。