異質なるものを共存させる「間」

「和の力」という視点で見ると、ヒントの一つは共存のための「間」にあるようだ。長谷川が語る神仏習合の解釈が面白い。神仏習合とは、インドから来た仏や菩薩は先にこの国にいた神々に姿を変え、融合して一体となり、祀られるようになった習わしだ。

 例えば、明治初期の廃仏毀釈までは、大きな神社の中には神宮寺という寺が同居していた。

 なぜ異質な神々が同居できたのか? 吉田兼好が徒然草において「夏をむねとすべし」と語ったように、長谷川は蒸し暑い夏を涼しく過ごすために「間」をとることの大事さを知った人々の智慧に注目する。人々は異質の神々の間にも、十分な「間」を設けるという智慧を働かせたのだ。

 その結果、この国では様々な神々が争いあうのではなく、共存することになる。なるほど確かに既存事業と新規事業の「間」は大切である。「両利きの経営」においては、この「間」のことを「組織デザインにおける構造的分離」と呼んでいる。

 さらに「両利きの経営」における難所は、そもそも新規事業がなかなか育たないことにある。大企業におけるイノベーションの過程は「着想→育成→量産化」であるが、特に「育成→量産化」にある壁が乗り越えられないのだ。この点についても、「和の力」に一つのヒントがある。

受容→選択→変容

「和の力」の3つの働き(受容→選択→変容)でいえば、適切な「選択」をしていないからこそ、新しい事業アイディアを自社に定着させるように作り変えることができないのではあるまいか。

 適切な「選択」とは、「夏をむねとすべし」のような自社独自の基準によって、事業アイディアを選択し育成するということだ。単なる損得勘定の基準ではなく、自社のアイデンティに則した基準に基づいて、受容したアイディアの中から事業として育てる種を選択することが機能していないからこそ、上手く育成が進まず、量産のフェーズに進むことができないのではあるまいか。