「和の力」が日本に生まれた三つの理由

 なぜこの「和の力」が日本という島国に生まれ、日本人の生活と文化における創造力の源となったのか。長谷川はその理由は三つあると言う。

 ①この国が緑の野山と青い海原のほかなにもない、いわば空白の島国だったこと。そこに海を渡ってさまざまな人々と文化が渡来したこと。そして、②この島国の夏は異様に蒸し暑く、人々は蒸し暑さを嫌い、涼しさを好む感覚を身につけていったこと。③蒸し暑さを嫌う気質をベースに、日本人は人と人、物と物、さらに神と神のあいだに「間」をとることを覚え、この「間」が異質のものを共存させる「和の力」を生み出していった。

 つまり、「和の力」とは、この空白の島々に海を越えて次々と渡来する文化を喜んで迎え入れ(受容)、そのなかから暑苦しくないものを選び出し(選択)、さらに涼しいように作り変える(変容)、という三つの働きのことなのだ。

 この国が昔から何もない空間にさまざまな異質の文化を受容、選択、変容という三つの過程を経て次々と和風のものに作り変えてきたこと、それこそが日本独自の「和の力」である、という長谷川の主張は、最先端の経営理論である「両利きの経営」と重なる部分が多い。

「和の力」と「両利きの経営」

 改めて言うまでもないが、「両利きの経営」とは、既存事業と新しい事業を“両立”させる経営のことだ。“両立”とは、「既存vs新規」という異質な事業を“共存”させるということだ。“両立”させることで、最終的には企業本体を変容させていくことが目的とする。

 新しい事業アイディアを受け入れ、自社独自の基準でビジネスモデルを生み出し、それを梃子にして企業そのものを進化させていくプロセスは、まさに「和の力」の発露ではないだろうか。「両利きの経営」がなぜにかくも多くの経営者の心を捉えたのかと問われれば、それはそもそものお家芸だったから、ともいえるかもしれない。

 しかし、両利きの経営はその実装が難しい理論ともいわれているのも事実だ。実際に、多くの成功事例と失敗事例が混在している。なぜなら、“両立”は「言うは易く行うは難し」の代物だからだ。

 経営者は資本市場のプレッシャーから足元の短期利益を重視して、ついつい既存事業に偏ってしまう。新規事業に取り組もうにも、その育成に我慢できずに、いつの間にか異質な新規事業は排除されてしまう。短期的な既存事業の成功が、中長期での新規事業の可能性を殺してしまうのだ。

 新規事業が殺されてしまっては、企業としての新陳代謝は生まれず、いずれ衰退の波に飲み込まれていくこととなる。何が足りないのだろうか。