2022年11月にオープンした雫石町の新本社と新工場(写真提供:菊の司酒造)

人やお酒は変えない。「なんで?」と「逆算」で無謀を成功へ

「父も私も、菊の司酒造の歴史や伝統に敬意を持っていたので、人やお酒を変えるつもりはありませんでした。ただ、もっと愛される菊の司酒造にしなければ会社の再生は難しい。実行すべき施策を見出すのが私の最初の仕事でした」

 日本酒の知識は皆無、酒蔵経営についても全くの素人だった貴和子さんは、菊の司酒造はもちろんのこと、大小さまざまな日本酒蔵を視察して回り、「なんでこうなっているのか?」「なんでこれはできないのか?」と蔵人や酒蔵の経営者を質問攻めにした。

 あらゆる角度から検討・検証を続けた結果、老朽化していた盛岡の蔵では公楽として納得できる水準の仕事は不可能と判断。1年以内に蔵を建て替えるべく、盛岡市内から水や環境に恵まれた雫石町への移転を決断した。同じ醸造酒製造でも、小型のものであれば数千万円単位でスタートできるワインと違って、日本酒蔵は部分的な増改築でも数億円単位の投資になる。さらに、酒造りを絶やすことなく新造、移転するのは、無謀ともいえる挑戦だ。

衛生管理や温度管理が徹底された工場内は、随所に木材が使用され、日本酒蔵の伝統も継承(撮影:阿部 昌也)

 事業譲渡後しばらくして創業家が経営から離れる中、新しい蔵の設計は、杜氏と貴和子さんが中心となって納得がいくまで何度も何度も修正を加えていったという。

「私は小さい時から疑問をそのままにしておけない性格の“なんで?っ子”だったんです(笑)。それと、逆算して計画を立てるのが好き。子どもの頃、例えば父にケータイがほしいとねだると、ダメだけど、どうしたら買えるか第2第3の方法を考えてみなさい、と言われて育ちました。そうした経験から、なぜできないのか?他の発想はないのか?どうやったら計画を実現できるのか?ということを楽しみながらやり続ける癖が付いたんだと思います」