危険運転致死罪に問われている被告が一番やってはいけないこと

 本件事故は2023年2月14日、午後9時35分頃、宇都宮市下栗町の新4号国道で発生しました。

 その夜、アルバイトの石田颯太被告(当時20)は、乗用車(トヨタ・クラウン)で時速160キロを超える速度で走行中、前を走っていた会社員・佐々木一匡さん(63)のスクーター(125cc)に追突。佐々木さんはすぐに病院へ搬送されましたが、多発外傷と胸部大動脈損傷を負い、およそ1時間後に死亡が確認されました。

 事故を起こした石田被告は、事故から約1時間後、自動車運転過失致傷の疑いで現行犯逮捕されました。

 会社からの帰宅途中、突然、後部から激突された佐々木さん。その瞬間の衝撃がいかに凄まじいものだったかは、警察署に保管されている事故車を見れば一目瞭然でしょう。

亡くなった佐々木一匡さんが乗っていたスクーター(遺族提供)

 佐々木さんが乗っていたスクーターのリヤショックはちぎれ、アルミ製の硬質なホイールは砕け、その車体はフレームが後ろから押し上げられたことでVの字に折れ曲がっています。本来、路面とほぼ平行であるはずのシートは大きく跳ね上がって上を向き、原形をとどめていません。

亡くなった佐々木一匡さんが乗っていたスクーター。後方から追突されたため、シートが前方にめくれ上がっている。乗っていた一匡さんはひとたまりもなかっただろう(遺族提供)

 ちなみに、この写真は、事故から3カ月後、私が初めて多恵子さんから相談を受けた翌日、それまで一歩も外に出ることができなかった彼女が、勇気を振り絞って警察署へ足を運び、自ら撮影したものです。

 その後、本件がどのような経緯をたどったかは、以下の記事をご覧ください。

(参考記事)一般道を160km走行した末の死亡事故が「過失運転致死」のはずがない、遺族の努力で「危険運転致死」に訴因変更(2024.10.15)

 被告は当初、「過失」で起訴され、事故から4カ月後には刑事裁判が始まっていました。しかし、法定速度を100キロもオーバーして起こした死亡事故が、「過失」=「うっかり事故」で裁かれることにどうしても納得できなかった多恵子さんは、「危険運転致死罪」への訴因変更を求めて声を上げ、署名活動も展開。その結果、宇都宮地検は「制御困難な高速度だった」として、2024年10月10、本件の罪名を「危険運転致死罪」に変更したのです。

過失運転致死罪から危険運転致死罪への訴因変更を求め、遺族は署名活動を行った